この箇所で、パウロはコリントの教会における分裂について再び語っています。第一章では、私たちはその一例を見ました。それは、コリントの人々がどのリーダーが偉大であるかをめぐって議論したことです。
しかし、今日の箇所では、私たちはプライドや自己中心的な態度から生じた分裂を目にします。パウロはこう述べました。
ところで、次のことを命じるにあたって、私はあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが益にならず、かえって害になっているからです。
まず第一に、あなたがたが教会に集まる際、あなたがたの間に分裂があると聞いています。ある程度は、そういうこともあろうかと思います。
実際、あなたがたの間で本当の信者が明らかにされるためには、分派が生じるのもやむを得ません。(コリント人への手紙第一11:17-19)
多くの牧師は、この箇所を引用し、宗派に関わる聖書の議論が必要だと教えます。その議論を通して、私たちは聖書の本当の意味を理解できるようになるからです。
または、その議論を通して、偽のクリスチャンを見分けることができるとも考えられています。
確かにそうかもしれませんが、私の考えでは、パウロは皮肉を込めて語っているように思えます。
「あなたがたは議論しなければならないのですね。本当のクリスチャンが誰かを証明しなければならないのですね。」
要するに、この分裂はコリントの人々のプライドから生じたものであり、パウロは彼らを厳しく批判しました。なぜなら、彼らは自分の霊的な偉大さを証明しようとするあまり、他者を見下していたからです。
もしかすると、この問題の背景には、あるユダヤ人の考え方があるのかもしれません。彼らは、富を神様の祝福のしるしと信じていました。
だから、彼らは聖餐式を行い、その後、一緒に食事をするとき、金持ちは貧しい者を差し置いて、まるで食いしん坊のように振る舞いました。なぜなら、彼らは多くの食べ物を持ってきていたからです。
おそらく、彼らはこう考えていたでしょう。 「私がほとんどの食べ物を持ってきたのだから、先に食べるのは当然だろう。もし私が食べた後に残り物があれば、あいつらは食べてもいいだろう。」
しかし、パウロは彼らにこう言いました。
あなたがたには、食べたり飲んだりする家がないのですか。それとも、神の教会を軽んじて、貧しい人たちに恥ずかしい思いをさせたいのですか。
私はあなたがたにどう言うべきでしょうか。ほめるべきでしょうか。このことでは、ほめるわけにはいきません。(22)
要するに、「あなたがたはいったい何をしているのですか。本来ならキリストのからだを祝うはずなのに、むしろ貧しい兄弟たちを見下し、キリストのからだを軽蔑しているのです。」ということです。
彼らはどのようにしてキリストのからだを軽んじてしまったのでしょうか。自己中心的な態度と高ぶりによって、そのような行動を取ってしまったのです。
あなたはどうでしょうか。あなたのプライドや自己中心的な態度によって、キリストのからだを分裂させてはいませんか。
貧しい兄弟姉妹を見下してはいませんか。
霊的に未成熟な人々を軽んじてはいませんか。
自分の賜物を他の人の賜物と比べてはいませんか。
自分のミニストリーの縄張りを守ろうとしてはいませんか。
そのような態度によって、教会は引き裂かれてしまいます。
あなたは兄弟姉妹をどのように見ているでしょうか。
