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コリント人への手紙第一

何の原料で教会を建てるでしょうか

今日の箇所で、パウロは私たちがどのように教会を建てているかについて語っています。そして、私たちはその建て方に注意を払わなければならないと警告しています。

まず、パウロは教会の土台について語ります。もちろん、その土台はキリストです。(11)

しかし、私たちはどのような材料を用いて、その土台の上に教会を建てるのでしょうか。牧師のカリスマでしょうか。それとも、ねたみでしょうか。陰口でしょうか。あるいは、プライドでしょうか。

牧師のカリスマは悪いものではありませんが、それは安定した建材ではありません。

では、その他のものはどうでしょうか。それらは教会を壊してしまいます。

だから、教会のメンバー—牧師であれ、新しく加わったばかりのメンバーであれ—それぞれが自分の役割を果たしている間に、自ら問いかけるべきです。「私はどのような材料を用いて、この教会を建てようとしているのだろうか。」

私たちが用いる材料によって、私たちは裁かれます。

パウロは次のように語りました。

だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。

その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。

だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。(コリント人への手紙第一3:12-15)

もし自分の役割を十分に果たさなければ、私たちは地獄に行くことはありませんが、自分の報いを失ってしまいます。そのため、ある人は天国に入るものの、彼らの成果はすべて失われてしまうのです。

なぜでしょうか。それは、彼らの心が神様の目に正しくなかったからです。彼らはねたみやプライドに満ちた心を持っていました。そのような態度によって教会に分裂が生じ、さらには教会が破壊されてしまうこともあります。

だから、パウロは次のように語りました。

あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。

もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。(16-17)

パウロが語ったのは、クリスチャンである私たちは神様の宮であるということです。言い換えれば、教会は神様の宮なのです。

もし私たちの行動によって教会が滅びるなら、神様は私たちを裁かれます。私たちのプライドやねたみによって教会が壊れたなら、私たちは神様の前で責任を問われることになります。

だから、パウロは「そんなものを捨てなさい」と命じています。プライドやねたみ、そして分裂を生み出す知恵を捨て去りましょう。むしろ、十字架の「愚かさ」を抱きましょう。

十字架の愚かさこそが、私たちに謙遜と感謝の心をもたらします。そのような心を持つなら、私たちは互いに受け入れ合う態度へと導かれるのです。

あなたはどうでしょうか。あなたが牧師であれ、教会の最も新しいメンバーであれ、あなたには教会を建てる役割があります。どのような材料を用いて教会を建てているでしょうか。