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箴言のデボーション

試練のとき

今日の箇所を読んで、二つの聖句が心に深く響きました。

銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。(箴言17:3)

聖書の著者たちがはっきり教えていることの一つは、神様がご自分の民に試練を経験させるということです。 一つの理由は、神様が私たちの心を試しておられることです。

でも、なぜ神様は私たちの心を試さなくてはならないのでしょうか。神様は私たちの心をすでにご存じではないでしょうか。

もちろん、神様は私たちの心をご存じです。

でも、多くの場合、私たちは自分の心を知らないのです。そして、試練によって、私たちの欠点や弱さが浮かび上がります。その反面、試練によって、自分が思っていたよりも強いと分かることもあります。

どちらにしても、神様の目的は、私たちが滅びることではなく、むしろイエス様のようになることです。

でも、もう一つの大切なことを覚えておきましょう。私たちは一人で試練を通る必要はありません。

ソロモンはこう書いています。

友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。(17節)

神様の望みは、試練を通るとき、兄弟たちや姉妹たちが互いに支え合うことです。

だから、苦しんでいるときに、恥ずかしがる必要はありません。周りの人々の助けを求めましょう。

また、誰かが苦しんでいるとき、その人にすぐに手を差し伸べましょう。

でも何よりも、覚えておきましょう。イエス様はどんなときにもあなたを愛する友です。私たちが最も苦しい試練の中にあるとき、イエス様は私たちと共におられます。

ダニエル書3章にあるシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの話を思い出します。彼らは文字通り火の中を通ったとき、互いに支え合いました。

それだけではなく、火の中でイエス様ご自身が彼らと共におられました。その結果は?彼らは金のようになって出て来ました。

私たちも必ずそうなります。

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箴言

友人からの傷

ハワイに住んでいた時、ある時期、私は主と共に歩み、毎週教会に行っていましたが、スモール・グループに行くのは辞めました。

私のスモール・グループはいろんな理由で(悪い理由ではありませんでした)、解散しました。その時、「日本に引っ越すかもなあ」と思ったので、他のグループに参加しなくても良いと思いました。

ところが、時間が経ち、結局日本に行かなくなりました。それでも、私はスモール・グループに参加しようと思いませんでした。

けれども、ある日、神様は私に「もうそろそろ、スモール・グループに参加した方が良いんじゃない?」と言われました。

だから、私はそうしました。

その後、私は以前のスモール・グループのメンバーの一人と話し、「私はスモール・グループに入ったよ」と言いました。

彼女は答えました。「ああ、良かった。ブルースのこと、ちょっと心配だった。」

私はそれを聞いて、びっくりしました。「そう?なんで何も言わなかったの?」と尋ねました。

彼女は答えました。「まあ、ブルースはやっぱり大丈夫かなあと思ったから。」

成熟したクリスチャンのマイナス面は、私が大丈夫じゃなくても、私の周りのクリスチャンは、「ブルースは大丈夫だ」と思うことです。

だから、私は友だちにこう言いました。

「私について心配することがあるなら、今度は何か言ってください。私は最初はその言葉を聞かないかもしれないけど、あなたの言葉が神様から来るなら、結局神様が私の心に語ります。」

私が友だちに言ったように、時々私は頑固です。だから、友だちの言葉に注意しない時もあります。しかし、何度も、その言葉を通して、神様は私の心に語られました。

時々、その言葉は嫌です。私たちの友だちは私たちの罪を指摘することがあります。だから、私たちはその言葉を聞いて、傷ついてしまうことがあります。

また、私たちは「どうして、そんなに酷いことを言われただろうか」と思うかもしれません。

けれども、ソロモンはこう言いました。

あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。

憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。(箴言27:5-6)

要するに、あなたの友だちがあなたを本当に愛するなら、あなたが罪を犯すと、彼らはあなたを訓戒します。

しかし、あなたを愛していない人は何も言いません。彼らはあなたが転んでもいいと思うから。

あなたに正直に言う友だちは本当に大事です。彼らは、あなたを励ますだけでなく、あなたに聖書的な助言を与えてくれます。

だから、ソロモンはこう言います。

香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。

あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。

近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(9-10)

けれども、私たちは互いに支え合うべきです。 友だちが私たちの成長を励ますように、私たちも自分の言葉と行動を通して、彼らの成長を助けるべきです。

ソロモンはこう書きました。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(17)

あなたにはそんな友だちがいるでしょうか。あなたたちは互いに研ぎ合うでしょうか。あなたたちは訓戒し合うでしょうか。

もしかしたら、あなたたちは相手が聞きたい言葉だけを言いますか。

あなたにはどんな友だちがいるでしょうか。

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真の友だち

一生を通じて、私は親友ができて、本当に良かったと思います。良い時でも、悪い時でも、彼らは私を応援し、支えてくれました。

数年前、親友の大切さを改めて感じました。その時、私はスモールグループに参加し、5人の友だちと一ヶ月に二回ほど集まり、自分の人生について話し、聖書を読み、祈り合いました。

その時、私たちの人生は非常に大変でした。私が勤めていた会社が倒産し、私は失業中でした。他の人には、彼女とのトラブルがあったり、婚約者と別れたり、奥さんががんにかかったりしました。

そのため、私たちは皆、友人を必要としていました。そして、その友人関係と神様の助けのおかげで、私たちはその問題を乗り越えました。

ソロモンは、そんな友だちについて書きました。

友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言17:17)

また、

滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。(箴言18:24)

私が高校生の時に、父はこう言いました。「お前は内気なのはよく知ってるけれど、親友が必要だよ。親友はたくさんいなくてもいいけれど、少なくとも一人は持っていた方がいい。」

その時期、私には友だちがいたけれど、親友がいなかった。私は本当に心を誰にもシェアできなかった。だから、父の言葉は私の心を打ちました。

そして、神様の恵みによって、親友ができました。特に、高校生時代、また、大学生の時代、その親友関係が私の人生を形作りました。

おそらく、私たちは自分自身に二つの質問を問うべきです。私たちにはそんな関係があるでしょうか。

そして、私たちはどのような友達でしょうか。私たちの友だちが困る時、彼らを助けるでしょうか。

それとも、私たちはすぐに逃げるでしょうか。19章では、ソロモンはそんな「友だち」についてこう書きます。

財産は多くの友を増し加え、寄るべのない者は、その友からも引き離される。(箴言19:4)

また、

貧しい者は自分の兄弟たちみなから憎まれる。彼の友人が彼から遠ざかるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。(箴言19:7)

あなたはどうですか。あなたの友だちが苦しんでいるときに、あなたは消えてしまうでしょうか。それとも、彼らを支えて、励ましてあげるでしょうか。

もちろん、彼らが経済的な問題を抱えている場合、私たちは常にお金をあげるわけではありません。しかし、私たちはできる限り、彼らが自分の問題を乗り越えるために助けてあげるべきです。

あなたは本当の友だちでしょうか。