これから、エズラの年代順は少し複雑になります。ここでは私の考えを述べますが、聖書学者たちは年代順だけでなく、エズラ記の中に登場する人物に関しても議論しています。
おそらく、エズラ記4章のアハシュエロス王とアルタシャスタ王は、紀元前486年から423年に治めたペルシャの王たちでした。
その仮定に基づき、私はエズラ記の順番を少し変更します。
エズラ記の年代順は複雑ですが、主の宮を再建するユダヤ人たちにとって、その状況も複雑でした。
再建中、サマリヤ人は手伝いを申し出ました。そのサマリヤ人は北イスラエル王国の残った人々(つまり、追放されなかった人々)の子孫と、メソポタミアとシリアからの移民でした。
彼らは本当の神を礼拝していましたが、他の神々も礼拝していました。だから、エズラと他のユダヤ人たちは彼らの助けを断りました。
そういうわけで、そのサマリヤ人たちはユダヤ人たちが主の宮とエルサレムの城壁を再建することに反対し始めました。エズラ記とネヘミヤ記では、サマリヤ人が反対している様子がよく描かれています。
この話から大切なことを学ぶことができます。私たちが神様に従って、私たちの宮(つまり、私たちの体)を神様に捧げ、また私たちの霊的な力を強める時、それに対して反対するものが現れます。
時々、周りの人々が私たちの変化を見ると、彼らは喜んで私たちを応援します。しかし、私たちの信仰が彼らの信仰とは異なる場合、彼らは私たちがそれほど真剣に神様に従わないよう説得しようとします。
例えば、仏教の葬式で焼香するよう説得されるかもしれません。また、彼らは私たちが道徳的な基準を妥協するように説得しようとするかもしれません。そして、私たちが妥協しないと、彼らは怒るでしょう。
イエス様は、私たちが彼に従うと、すべての人々が私たちを好きになると約束されませんでした。イエス様は完全な方であったのに、彼を憎む人々もいました。だからイエス様はこう言われました。
もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。(ヨハネ15:18)
だから、私たちは自分自身にこの質問をするべきです。「私は誰を喜ばせようとしているのだろうか。神様でしょうか。それとも周りの人々でしょうか。」
神様の賞賛をほかの人々の賞賛よりも求めましょう。反対が来ても、神様の賞賛を求めましょう。また、私たちの人生がつらくなっても、神様の賞賛を求めましょう。
