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出エジプト記のデボーション

神様に叫ぶ?それとも責める?

それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。

それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。(出エジプト記17:7)

イスラエル人たちは、どのようにその言葉を言っていたでしょうか。どんな態度を持っていたでしょうか。

彼らは苦しみの中で謙遜な態度をもって、こう言っていたでしょうか。

「神様、私たちはどうしてこんなに苦しんでいるのか理解できません。あなたは本当に私たちと共におられるのですか。私たちには水がありません。助けてくださらなければ、私たちは死んでしまいます。どうか助けてください。」

それとも、彼らは反抗的な態度をもって、こう言っていたでしょうか。

「神様、本当に私たちと共におられるのですか。おられないのですか。私たちを死なせるのですか。あなたはどのような神なのですか。あなたは本当に良い方なのですか。」

モーセの反応から察すると、イスラエル人たちは反抗的な態度をもって話していたようです。さらに、モーセは後にイスラエル人たちにそのような態度を取らないように警告しました。(申命記6:16)

試練にあうとき、自分の感情にもまれるのは簡単なことです。

もちろん、苦しみの時には、自分の疑い、痛み、恐れを表現してもいいです。詩篇では、ダビデはしばしばそうしました。

でも、私たちは反抗的な態度に注意するべきです。私たちは神様を裁く立場を取ってはいけません。神様は私たちよりもはるかに多くのことを知っておられるからです。

だから、苦しむ時、理解できない時、神様に対してへりくだる態度を持つべきです。

サタンは私たちに、神様が良い方であることを疑わせようとします。試練を通して、サタンは私たちの神様への信頼を壊そうとします。

その誘惑に負けてはいけません。むしろ、神様が良い方であり、私たちに忠実であり、私たちを愛してくださるという真理にしがみつきましょう。

そして、ぺテロの言葉を心に留めておきましょう。

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(第一ぺテロ5:6~10)

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民数記のデボーション

反抗的

安息日を破った人の話が、民数記15:27-31にある神様の指示のあとに記録されているのは、偶然ではないと思います。

27-31節では、神様は、気づかずに罪に陥ってしまう人と、故意に罪を犯す人を区別されます。

気づかずに罪に陥ってしまう人のためには、祭司が宥めを行い、その人は赦されました。

しかし、故意に罪を犯した人のためには、宥めはありませんでした。神様はその人を赦されませんでした。

安息日を破った人は、そのような人でした。

彼はただ、その日が安息日であったことを忘れていたわけではありません。周りの人々がその罪を指摘したとき、彼は「大変です。忘れてしまいました。どうしたらいいですか」とは言いませんでした。

むしろ、彼はまったく気にしませんでした。彼は神様の言葉を侮り、その行為によって神様を冒瀆しました。

その結果は――死です。

素直に悔い改める心を持つ人に対して、神様は恵み深いお方です。神様は、いつもそのような人を赦してくださいます。

しかし、悔い改めようとしない反抗的な人は、神様の赦しを知ることがありません。

ですから、いつも神様に対して柔らかい心を保ちましょう。