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ヘブル人への手紙

クリスマスの意味(3)

最近、私たちはクリスマスの意味について考えてきました。

最初の記事では、クリスマスを通して、私たちが神様のご性質を知ることができるということを語りました。すなわち、イエス様にあって、目に見えない神様が、見えるようになったのです。

そして、前回の記事では、イエス様が来られたもう一つの理由――それは「私たちの罪」であることを取り上げました。

私たちの罪のゆえに、この世は混乱し、壊れてしまいました。本来、神様の子どもであり代表者として、私たちはこの世を治めるはずでした。しかし、罪によって、この世界も、私たち自身の人生も崩れてしまったのです。

けれども、イエス様がこの世に来られたとき、十字架で私たちの罪の代価を支払い、神様の怒りを身に負ってくださいました。イエス様の御業によって、救いの道が整えられたのです。

ですから、今、私たちがなすべきことはただひとつ――イエス様を信頼し、従うことです。そうするなら、神様が私たちのために初めからご計画されていたことが実現するのです。

それはつまり、私たちが栄光と誉れの冠をいただき、イエス様と共に永遠にこの世を治めることなのです。

しかし、イエス様がこの世に来られた理由は、もう一つあります。

それは、私たちに共感するためでした。私たちのことを、真に理解できるようになるためでした。

私たちは、天におられる神様を思うとき、神様がどうやって私たちのことを理解できるのか、不思議に思うかもしれません。神は神であり、人は人だからです。

けれども、イエス様がこの世に来られたとき、私たちが経験することを、ご自身も経験されました。

この手紙の著者によれば、私たちの創始者(別訳:「指導者」)であるイエス様は、苦しみを通して完全な者とされたのです(10節)。

それは、どういう意味なのでしょうか。

イエス様は、もともと完全なお方ではなかったのでしょうか。

もちろん、イエス様は常に罪のない、完全な方でした。

けれども、苦しみを通して、イエス様は私たちに完全に共感できるようになられたのです。その意味において、イエス様はさらに完全な救い主となられました。

イエス様は、人となられたことによって、不完全な世界に生きることを体験されました。また、誘惑に直面し、それを打ち勝つことを学ばれました。そして、死に至られ、ついには死をも克服されました。

だから、この手紙の著者は、こう書いています。

聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。(へブル人への手紙2:11)

言い換えれば、イエス様は人となられ、私たちと同じような者となられました。

だから、イエス様は心から、私たちを兄弟姉妹と呼んでくださるのです。

この手紙の著者が引用した詩編の中では、イエス様がよろこんで、私たちを「兄弟」「姉妹」「子どもたち」と呼んでおられる姿を見ることができます。イエス様は決して、私たちを見下されません。

そして、14〜15節で、著者はさらにこう続けています。

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。

それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(14-15)

イエス様は人となられ、私たちと同じように血と肉を持っておられました。

しかし、私たちと違って、イエス様は決して罪を犯されませんでした。

それにもかかわらず、イエス様は私たちの罪のために、ご自身を十字架においてささげられました。そのことによって、サタンの力は打ち砕かれ、私たちは死と地獄の恐れから解放されたのです。

けれども、私たちはもう一つ、心にとどめておくべきことがあります。

この手紙の著者は、こう書いています。

したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。

イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(17-18)

言い換えれば、イエス様は人としてご自身の弱さを味わわれたので、私たちの弱さに深く共感してくださるのです。

だから、イエス様は私たちに対して、あわれみ深い大祭司となられました。

ですから、私たちが苦しみの中でうめき、罪との戦いに疲れ果てるときにも、イエス様は私たちの痛みを理解してくださいます。

これこそが、クリスマスの不思議さです――すなわち、神様が私たちのことを理解しておられる、ということなのです。

He knows all the struggles you are going through.
イエス様は、あなたが経験しているすべての戦いを理解しておられます。
He knows the pain you’re feeling.
イエス様は、あなたの苦しみを理解しておられます。
He hears the silent cries you hold within your heart.
イエス様は、あなたの心の奥深くにあるうめきを、すべて聞いておられます。
And he wants so much to show you that he knows.
そして、イエス様はあなたにご自身の共感を、本当に知ってほしいと願っておられます。

–ブライアン・ベッカー

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テモテへの手紙第ー

福音の不思議さ

私はクリスマスが大好きです。それは、一年のうちで最も好きな季節です。イエス様がこの世に来られたという出来事は、まさに驚くべきことです。

けれども、私たちはその出来事を、当たり前のこととして受け止めてしまってはいないでしょうか。その出来事の不思議さについて、どれほど深く思い巡らしているでしょうか。

パウロは、その不思議さをよく理解していました。彼はこう語っています。

だれもが認めるように、この敬虔の奥義は偉大です。(テモテへの手紙第一3:16a)

敬虔の奥義。

パウロの時代、多くの人々は、敬虔の鍵は自分自身の努力にあると考えていました。彼らは、律法の実行や禁欲的な生活を通して敬虔になれると信じていたのです。また他の人々は、敬虔の奥義は、系図や想像の物語の中に見出されると考えていました(1:4)。

しかし、本当の敬虔は、宗教的な規則や自己修練によって生まれるものではありません。むしろ、それはイエス様とその十字架の働きによってのみ生じるのです。

パウロは、次のように記しています。

「キリストは肉において現れ、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(16b)

神様は赤ちゃんとしてこの世に来られました。この世界を創造された神、自らの言葉によってすべてを保っておられる神、この宇宙の王であり源である方が、赤ちゃんとして来られたのです。

イエス様は、大工の子として育てられました。養父ヨセフが亡くなると、イエス様はその家族を支える責任を担われました。

その後、イエス様は家を離れ、ご自身の公の働きを始められました。福音を宣べ伝え、神様がどのような方であるかを人々に教えられ、また、御国の力を現されました。悪霊を追い出し、人々を癒し、死者たちをも復活させました。

群衆は、イエス様を王として迎えようとしました。けれどもそのわずか一週間後、彼らはイエス様を十字架につけてしまいました。

しかし、御霊によってイエス様は復活され、イエス様が力ある神の御子であることが証しされました。天使たちは復活の知らせを弟子たちに伝え、イエス様ご自身も彼らに現れ、その後、天に上げられたのです。

その後、弟子たちがその良い知らせをこの世界に伝えたことによって、今もなお、イエス様の御名は全地に宣べ伝えられ、多くの人々がイエス様を信じるようになっています。

この福音を通して、人々は神様に義と認められます。イエス様を復活させた神様の力によって、彼らの人生は変えられていくのです。

これこそが、福音の不思議さです。そしてまた、それがクリスマスの不思議さでもあります。

私たちが神様の教会として、真理の柱と土台となりますように。 その真理を、この死につつある希望のない世界に向かって、はっきりと伝えていきましょう。

私たちの心が鈍くならないように。この福音を、決して当たり前のものとして受け止めてしまわないように。

あなたはどうでしょうか。あなたは今もなお、福音を不思議に思っていますか。