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出エジプト記のデボーション

古い契約、新しい契約

モーセはその血の半分を取って鉢に入れ、残りの半分を祭壇に振りかけた。そして契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らは言った。

「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」

モーセはその血を取って、民に振りかけ、そして言った。

「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」(出エジプト記24:6~8)

日曜日に聖餐式があったので、最後の晩餐でのイエス様の言葉を思い出しました。

この杯は、わたしの血による新しい契約です。

飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。(第一コリント11:25)

ある意味、古い契約は恵みの契約でした。その契約によって、自分の罪のゆえにふさわしくなかった人々も、神様との関係を持つことができたのです。

でも、ある意味では、その契約は不完全なものでした。

その契約は、イスラエル人が神様の命令に従うという約束に基づいていました。しかし、彼らは完全にそうすることができませんでした。(ヘブル8:7~9;10:1~4)

さらに、契約の血がイスラエル人たちに振りかけられましたが、彼らは神様に近づくことができませんでした。

モーセ、祭司たち、長老たちだけが、神様の御前で食べたり、飲んだりすることができました。それでも、モーセだけがシナイで神様に近づくことができました。

その一方、新しい契約は、神様の律法を守ろうとする私たちの努力に基づくものではありません。その契約は、私たちが良い人間になるという誓いに基づくものではありません。

その契約は、十字架で流されたイエス様の血によって基づくものです。

その血は、アベルの血と違って、復讐を求めるのではなく(創世記4:10)、「アバ、父よ、彼らを赦してください」と叫びます。

そういうわけで、私たち皆は、恐れず、喜びをもって、大胆に神様に近づくことができます。(ヘブル10:19~22)

ヘブルの著者は、新しい契約と古い契約の違いをこのようにまとめました。

あなたがたが近づいているのは、手でさわれるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。

そのことばのとどろきを聞いた者たちは、それ以上一言も自分たちに語らないでくださいと懇願しました。

彼らは、「たとえ獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」という命令に耐えることができませんでした。

また、その光景があまりに恐ろしかったので、モーセは「私は怖くて震える」と言いました。

しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。(ヘブル書12:18~24)

それは、なんと素晴らしいことでしょう。

このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。

感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。

私たちの神は焼き尽くす火なのです。(ヘブル12:28~29)