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使徒の働き

神様からの召しに従う

この箇所では、パウロはフェストゥスとアグリッパ王の前に立ちました。このアグリッパ王は、ヤコブを殺し、ペテロを殺そうとしたヘロデの息子でした。

ユダヤ人たちは再び、フェストゥスに対してパウロをエルサレムへ送るよう願いました。フェストゥスはそこでパウロに裁判を受けさせようと考えましたが、実はユダヤ人たちはパウロがエルサレムへ向かう途中で彼を暗殺しようと企んでいました。

パウロはその陰謀を十分に理解していたため、フェストゥスがエルサレム行きを説得しようとしたとき、パウロは「カエサルに上訴します」と宣言しました。

フェストゥスはその願いを受け入れましたが、ここで問題が生じました。パウロの「罪」とされていたものはユダヤ教の法律に関する問題でした。したがって、フェストゥスはどのようにこの「罪」をカエサルへ説明すべきか分かりませんでした。

つまり、フェストゥスはユダヤ教の問題を十分に理解しておらず、おそらくカエサルもユダヤ教について詳しく知らなかったということです。

そのため、アグリッパ王が到着すると、フェストゥスは彼と相談しました。するとアグリッパ王は、「パウロの弁明を聞こう」と述べました。

こうして、パウロはもう一度自らの証しを語りました。パウロはこれまで何度も証しを語っており、そのたびに私たちは新しい詳細を知ることができます。

アグリッパと話した際、パウロはイエスから与えられた使命について説明しました。

イエス様は、パウロにこう語られました

わたしは、あなたを。。。[ユダヤ人たちや異邦人たち]のところに遣わす。

それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なる者とされた人々と共に相続にあずかるためである。(使徒の働き26:17-18)

イエス様は私たちに同じ使命を与えてくださいます。

私たちは周囲の人々に福音を伝えるべきです。その目的は何でしょうか。それは、彼らが自分の罪の鎖や心の暗闇に気づくことです。

そして、彼らがサタンの支配から解放され、神様の国に入ること、さらに罪が赦されること、そしてイエス様を信じる信仰によって神様の子供となることです。

その召しについて、パウロはアグリッパ王とフェストゥスにこう語りました。

私は天からの幻に背か(なかった。)(19)

あなたはどうでしょうか。あなたはその使命を果たしているでしょうか。あなたは周囲の人々に福音を伝えているでしょうか。

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イエス様について行くように呼ばれた

しばらく聖書の部分を飛ばしてしまっていたので、今日はその箇所に戻りたいと思います。実は、これは非常に重要な箇所です。この箇所では、イエス様が初めて弟子たちを招かれました。

以前にもお話ししましたが、福音の出来事を年代順に進めようとしています。とはいえ、時にはその順番を推測しなくてはならない場合があります。

おそらく、このルカの箇所の出来事が最初に起こり、その2~3日後にマルコとマタイの出来事が起こったのだと思われます。

ある日、イエス様は群衆を教えようとされました。けれども、群衆がイエス様に押し迫ってきたため、イエス様はペテロとその仲間の船をご覧になり、すぐにその船に乗られ、彼らに陸から少し漕ぎ出すように頼まれました。そしてイエス様は、その船から群衆に教えられました。

ペテロとその仲間たちが進んでイエス様を助けたかどうかは分かりません。彼らは徹夜で漁をしていましたが、何も獲れませんでした。イエス様が彼らを呼ばれたとき、彼らは網を洗っているところでした。

おそらく彼らは、網を洗い終えたら帰ってすぐに眠ろうと思っていたのではないでしょうか。それでも彼らはイエス様を助けました。

その後、イエス様が教え終えられると、ペテロとその仲間に「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。

ペテロにとってそれは限界でした。彼は疲れ果てており、これ以上漁をしたいとは思っていませんでした。さらに、経験豊富な漁師である彼にとって、大工であるイエス様からの漁についての指示を受けるのは気が進まなかったのではないでしょうか。

それでも、ペテロはこう答えました。

先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。(ルカ5:5)

おそらく、イエス様はその言葉を聞いた時、何も言われずに、ただペテロをじっと見つめて待っておられたのでしょう。そうしている間に、結局ペテロは口ごもりながら言いました。

でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。(ルカ5:5)

だから、ペテロとその仲間たちは恥ずかしさを感じながら漁に出ました。なぜ彼らが恥ずかしかったのでしょうか。それは、誰も昼間に漁をすることがなかったからです。魚がいるはずがないと考えられていたためです。

おそらく、他の船に乗っている友人たちは笑ったかもしれません。「ペテロは愚かだね。なぜその大工の言葉に従うんだろう」と思った可能性もあります。

しかし、ペテロたちが網を下ろした時、大量の魚が網にかかりました。魚が多すぎたため、ペテロは他の船の友人たちを呼んで助けを求めました。それでも魚はあまりにも多く、二つの船が沈みそうになりました。

最初のうち、ペテロは大いに興奮したことでしょう。けれども、すぐに彼は自分たちの目の前で何が起こったのかを実感しました。そして、イエス様が普通の先生ではないことを悟りました。だから、ペテロはイエス様の足もとにひれ伏し、大声で言いました。

主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。(ルカ5:8)

でも、イエス様はこのように答えられました。

こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。(10)

これはあくまで私の推測ですが、もしかすると、ルカは話を少し簡潔にまとめたのかもしれません。そしてその後、皆が自宅に戻った可能性があります。

おそらく、イエス様は彼らにその日体験したことやご自分の言葉を深く考えてほしいと思われたのではないでしょうか。

そして翌朝、ペテロとアンデレが漁をしているのを見られた時、またヤコブとヨハネが網を繕っているのを見られた時、イエス様は改めて彼らを招かれました。

わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。(マタイ4:19)

その時、彼らはすべてを捨てて、イエス様に従い始めました。

この話から、私たちはどんな教訓を学べるでしょうか。

まず第一に、イエス様の恵みがペテロの失敗と罪を覆ったように、その恵みは私たちの失敗と罪も覆います。イエス様はペテロの罪を責めることはせず、むしろ新しい人生を始めるようにペテロを招かれました。

第二に、イエス様に従うために特別な資格は必要ありません。神学校に行く必要もありません。ペテロとその仲間たちは特別な教育を受けていませんでした。それでも、イエス様は彼らを弟子として招かれました。

第三に、最も重要なのは、イエス様を信頼し、イエス様の言葉に従うことです。たとえイエス様の言葉を完全に理解できなくても、「あなたがお命じになるので、私は従います」という信仰と従順の態度を取るべきです。

また、イエス様に従うために、私たちが愛するものを喜んで手放す態度を持つべきです。

最後に、イエス様の弟子として、イエス様の働きに参加する姿勢を持つべきです。つまり、人々を神様の御国へ導くことです。

あなたはペテロとその仲間たちの模範に従いますか。イエス様からの召しに応えますか。