叱られるのが好きな人は誰もいません。
「君は間違っている」と言われるのが好きな人もいません。
では、そう言われたとき、あなたはどう反応するでしょうか。
パリサイ人たちは彼らの先祖たちの例に従いました。彼らは懲らしめられたとき、その言葉に耳を貸さず、悔い改めることもせず、神様に遣わされた人々を攻撃しました。
彼らはイエス様に反対し、殺してしまいました。その後、彼らは弟子たちに反対し、彼らを殺そうとしました。それでも彼らはこう言いました。「私たちが自分の先祖なら、私たちは決して預言者たちを殺さなかっただろう。」
だから、イエス様は彼らにこう言われました。
蛇よ。まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。
だから、見よ。私は預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。
それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。
まことに、おまえたちに言う。これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。(マタイの福音書23:33-36)
それで、イエス様は泣いて、こう言われました。
エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。
見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。
今から後、「祝福あれ、主のみ名によって来られる方に」とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」(37-39)
最終的にそれは起こりました。イエス様を殺した世代の人々が生きているうちに、イスラエルは滅び、その神殿が破壊され、今なお再建されていません。
私たちが神様に遣わされた人々を拒絶すると、何が起こるでしょうか。私たちの人生は崩れ去り、私たちは裁かれます。
神様はそれを見て、決して喜ばれることはありません。神様はそれを見て、泣かれるのです。けれども、私たちが自分の主としてイエス様を認めるまで、私たちは決して命と平和を知ることができません。
ソロモンはこう記しました。
愛する者が傷つけるのは誠実による。(箴言27:6)
真実は厳しいかもしれません。真実を聞くのは辛いかもしれません。しかし、真実を受け入れると、私たちは癒されます。
あなたが叱られるとき、どう反応するでしょうか。
