現代では、私たちはさまざまな情報を簡単に得ることができます。特に、インターネットを通じて、多様なニュースや意見に触れることができます。
信仰に関しても同じです。牧師だけでなく、一般のクリスチャンも神様や聖書について語り、多くの人が彼らの教えに従っています。
けれども、私たちはどれほど彼らの言葉を吟味しているでしょうか。もし吟味しなければ、信頼に値しない人の意見に流されてしまいます。
テサロニケ人やベレア人の多くは、まさにそのような人々でした。福音の敵は簡単に彼らを扇動し、パウロとシラスに対する大騒ぎを引き起こしました。
なぜでしょうか。それは、彼らがパウロの敵の言葉を吟味せず、すぐにその嘘を信じてしまったからです。
しかし、パウロの言葉を信じた人々の中にも、聞いたことを十分に吟味しない者がいました。ルカはテサロニケ人とベレア人を比較して、こう記しました。
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。(使徒の働き17:11)
よく考えてみてください。パウロは偉大な使徒でした。けれども、御霊はルカを通してベレア人を称賛しました。
なぜでしょうか。それは、彼らが簡単にパウロの言葉を受け入れたのではなく、むしろ聖書に照らして吟味したからです。
もしベレア人がパウロの言葉を吟味したことが良いことであるなら、私たちも牧師の言葉を吟味すべきではないでしょうか。有名な牧師やクリスチャン作家の言葉も、慎重に検証すべきではないでしょうか。
しかし、多くの人々は聞くことを吟味しません。もし話の内容が正しく聞こえたり、心を動かされたりすると、すぐに受け入れてしまいます。
その結果どうなるでしょうか。神様の道から離れ、偽りの教えの風に吹き回されるのです。(エペソ4:14)
そうならないようにしましょう。私たちが聞くことを吟味しなければ、神様の道を見逃してしまいます。
むしろ、パウロの言葉を心に留め、それに従いましょう。
ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。あらゆる形の悪から離れなさい。(第一テサロニケ5:21-22)
