この箇所は、とても短いですが、私たちが大切なことを学ぶことができると思います。
この話では、イエス様はあちらこちらに行かれて、福音を述べ伝えられました。
もちろん弟子たちはイエス様と一緒に行きましたが、三人の女性たちも同行しました。それは、マグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデ王の執事の妻ヨハンナ、そしてスザンナという人です。
私たちは、その三人についてあまり詳しくは知りませんが、彼女たちはイエス様に触れられました。
イエス様はマリヤから七つの悪霊を追い出されましたし、ヨハンナとスザンナの病気を癒されたか、彼女たちから悪霊を追い出されたのです。要するに、その三人はイエス様によって祝福を受けたのです。
だから、彼女たちは感謝の心を持って、イエス様について行き始めました。それだけではなく、彼女たちは経済的にイエス様のミニストリーを支援し始めたのです。
私たちは、この話から何を学ぶことができるでしょうか。
私たち皆はイエス様によって祝福を受けています。もちろん、一番大きな祝福は、イエス様が私たちの罪のために死んでくださったことです。
とはいえ、もしかすると、イエス様があなたの結婚や家族を修復されたり、あなたの過去の傷を癒されたりしたかもしれません。
確かに、祝福を受けるのは素晴らしいことです。けれども、あなたは周りの人々を祝福しているでしょうか。
それとも、祝福を受けるだけで終わっていませんか。あなたは周りの人々に祝福を分かち合っていますか。
あるクリスチャンはこう考えるかもしれません。「どうして十一献金をささげるべきなのでしょうか。それは新約聖書の教えではありません。」
確かにそうかもしれません。しかし、クリスチャンとして、私たちは気前の良い人になるように召されています。(第二コリント8:7)
なぜでしょうか。それは、神様が単に私たちを恵みで満ちた器として望んでおられるだけではないからです。
神様は、私たちが恵みのパイプラインとなり、その恵みが私たちを通して流れ、周りの人々に触れることを望んでおられるのです。
もちろん、それには教会を経済的にサポートすることも含まれますが、それだけではありません。私たちは、自分の人生を神様にささげ、周りの人々に仕えるべきです。
あなた自身はどうでしょうか。あなたは単なる恵みで満たされた器でしょうか。それとも、恵みのパイプラインでしょうか。
