14章では、神様を拒絶し、獣の刻印を受けた人々が永遠の裁きを受けることを読みました。以前にも述べたように、永遠の裁きという概念に抵抗を感じる人々は少なくありません。
9章では、その永遠の裁きの理由を見ました。ある人々は長らく神様に逆らい、悔い改める心を持とうとしません。どれほど厳しい裁きが下されても、彼らはどうしても悔い改めたくないのです。むしろ、神様をますます呪うのです。
今日の箇所では、再びそのような人々が登場します。
16章で、神様は抑えることなく裁きを地上に注がれます。封印の裁きやラッパの裁きがなされたときには、神様は裁きに制限を設けられました。(封印の裁きでは被造物の4分の1が、ラッパの裁きでは3分の1が打たれました。)
今回は、全世界が打たれます。
獣の刻印を受けたすべての人々には、ひどく悪性な腫れものが生じます。(黙示録16:2)
海は死者の血のようになり、海の中のすべての生き物が死に絶えます。(3節)
神の民を殺していた彼らに対し、川と水の源の水は血へと変わります。(4-7節)
そして、
第四の御使いが鉢の中身を太陽に注いだ。すると、太陽は人々を火で焼くことを許された。(黙示録16:8)
私の意見ですが、おそらくこの描写が意味するのは、私たちを太陽の紫外線から守るオゾン層が著しく薄くなり、その結果、人々が焼かれるということではないでしょうか。
さて、人々はそのような状況にどのように反応するのでしょうか。
こうして人々は激しい炎熱で焼かれ、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名を冒瀆した。彼らが悔い改めて神に栄光を帰することはなかった。(9)
あなたはこう言うかもしれません。「でも、その裁きがもう少し続けば、最終的に人々は悔い改めるのでは?」
けれども、次に、モーセの時代のエジプトのように、全世界が闇に包まれます。また、人々は自分の腫れもののために激しい苦しみにさいなまれます。(10-11a)
それでも、彼らは、
天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。(11b)
「でも、彼らはきっと自分の頑固さを捨てて、悔い改めるだろう?決して悔い改めないほどの頑固な人はいないのでは?」
しかし、大河ユーフラテスの水が涸れ、東から来る王たちが集まり、神様に戦いを挑もうとします。(12)
悪霊たちが現れ、奇跡的なしるしを行って、王たちに神様に勝てるという希望を抱かせようとします。彼らはハルマゲドンに集結し、神の激しい怒りが込められた最後の鉢が空中に注がれます。
その時、稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、世界の歴史の中で最も大きな地震が起こります。
すべての国々の都市が崩れ去り、神様の激しい憤りは、御前に逆らう帝国に注がれます。島々は沈み、山々は崩れ、巨大な雹が天から人々の上に降り注ぎます。(20-21)
その結果は何でしょうか。人々は悔い改めたのでしょうか。
いいえ、悔い改めませんでした。
この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。(21)
私のポイントは何でしょうか。悔い改めなければ、人々は地獄から出られません。
しかし、私たちが今日の箇所から学んだのは、自分の心を固くし続けると、どれほど苦しみを味わっても、決して悔い改めることはないという現実です。
地獄にいる人々は、まさにそのような者たちです。
ですから、もしあなたが今なお神様に背を向けているなら、どうか今のうちに悔い改めてください。神様は、あなたが地獄に入ることを望んではおられません。
あなたがその罰を受けることがないように、神様はご自身のひとり子であるイエス様をこの世に送られました。そして十字架の上で、イエス様はあなたの罰を身代わりとして受けてくださいました。
あなたがすべきことはただ一つ。イエス様を、自分の主、そして救い主として受け入れることです。
神様は、あなたにこう語りかけておられます。
わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか。。。
彼らがその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。。。
だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル書18:23、32)
