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テモテへの手紙第ー

リーダーになりたいと願うなら

前回の記事では、私は牧師や教会の長老について語りました。 けれども、多くのクリスチャンにとって、牧師や長老になることはあまり関心のあるテーマではないかもしれません。

とはいえ、あるクリスチャンはミニストリーのリーダーになりたいと願っているかもしれません。たとえば、教会の財政を管理したり、ホームレスの方々への奉仕を担ったり、スモールグループや教会行事の運営を任されたりするような働きです。

多くの教会では「執事」という言葉をあまり用いませんが、聖書の観点からすれば、こうした奉仕を担うリーダーたちは、まさに執事と呼ぶべき存在です。

彼らは牧師や長老ではないにしても、教会が健全に働きを進めていくために、重要な責任を担っています。彼らの働きによって、牧師や長老たちは自分たちの務めに集中することができるのです。

多くのクリスチャンは、自分の賜物があるから執事にふさわしいと考えがちですが、そのような見方は正確ではありません。

パウロが執事の資格について語るとき、彼はその人の賜物や能力についてまず触れることはしません。むしろ、牧師の場合と同じように、執事に求められる最も重要な資格は「良い性格」なのです。

そのことを踏まえて、パウロはこう語りました。

(教会の監督と)同じように執事たちも、品位があり、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利を求めず。。。(テモテへの手紙第一3:8)

牧師と同じように、執事も自分の妻に対して忠実であり、自らの家庭をよく治めなければなりません(11)。

ただし、牧師とは異なり、執事には聖書を教える賜物が必須ではありません。それでも、キリスト教信仰に堅く立ち、御言葉に従って歩むことが求められます(9)。

私たちは、誰かをすぐにリーダーに任命すべきではありません。 その前に、まず審査を経るべきです。もし非難される点がなければ、そのとき初めてリーダーに任命してもよいのです。この手順を省くなら、その結果は非常に重いものとなるでしょう。

そしてパウロは、女性の執事についても語っています。

この奉仕に就く女の人も同じように、品位があり、人を中傷する者でなく、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。(11)

最後のポイントは、どのような役割を担っていたとしても、執事は「しもべ」であるべきだということです。実際、「執事」という言葉そのものが、「しもべ」という意味を持っています。そして、神のしもべとして、また教会のしもべとして、彼らは誠実に仕えることが求められるのです。

パウロは、この教えを次のように締めくくっています。

執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです。(13)

忠実に仕えるなら、当然、教会の中で良い評判を得ることができます。しかし、それ以上に大きな報いは、神があなたを通して働かれ、周囲の人々がその祝福に触れるのを見ることです。そのとき、あなた自身の信仰もいっそう深められていくでしょう。

あなたはリーダーになりたいと願っていますか。そのとき、あなたはどのような性格を持っているでしょうか。

すでにリーダーとして仕えているなら、あなたは忠実に仕えていると言えるでしょうか。