私たちの信仰の基礎は何でしょうか。なぜ私たちは、クリスチャンたちが信じていることを信じるのでしょうか。
基本的に、私たちの信仰は神様とその性質に基づいています。また、私たちの信仰はある程度、私たちの経験にも基づいています。すなわち、私たちは神様が慈しみ深い方であることを味わい、悟るようになったからです。
しかし難しいのは、神様は目に見えないということです。私たちは神様に触れることも、御声を耳で聞くこともできません。
では、どうして私たちが神様との関係を実際に持っていると確信できるのでしょうか。それがただの錯覚ではないと、どうして確信できるのでしょうか。
世界中には多くの人々が霊的な経験を主張しながらも、クリスチャンの教えを否定しています。
では、どうして私たちは自分たちの経験が彼らの経験よりも優れていると確信できるのでしょうか。また、彼らの経験とは異なり、私たちの経験が単なる感情や神話に基づくものではなく、真理に基づいていると確信できるのでしょうか。
ペテロはこれらの質問に答えています。彼はこう言いました。
私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。(ペテロの手紙第二1:16)
多くの人々は、イエス様が実在していたことを否定します。別の人々は、イエス様の存在を認めても、私たちがイエス様が実際に何を行い、何を語ったのかを知ることはできないと主張します。むしろ、彼らはイエス様に関する話が周囲の国々の神話に基づいていると主張し、それを証明しようと懸命に努めます。
けれども、ペテロはそのような主張を否定します。
「私たちは自分の想像によってイエス様の話を作りませんでした。私たちは実際にイエス様と共にいました。私たちはイエス様を見ました。山で、イエス様の姿が変えられたとき、私たちは自分の目でその栄光を見、自分の耳で神様の御声を聞きました。」(16ー18)
さらに、ペテロは次のように語ります。
また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。(19)
もしかすると、ペテロは単に預言者たちの言葉について話しているのかもしれませんが、神様の言葉全体について話している可能性もあります。
いずれにせよ、ペテロのポイントはこうです――私たちは自分の経験だけでなく、神様のみ言葉によって、私たちの経験の背後に真実があると知ることができます。そのため、私たちの信仰は、単なる経験ではなく、神様のみ言葉にしっかりと基づいているのです。
神様のみ言葉を通して、私たちは神様が他の人々の人生にどのように働かれたのかを知ることができます。そのため、私たちは彼らの経験を自分自身の経験と比べ、その類似点を見つけることができます。
さらに、私たちは預言者たちの言葉がどのように成就されたのかを見ることができます。特に、イエス様に関する預言がどのように実現したのかを理解することができます。
しかし、私たちはどのように聖書の言葉が真実であることを確信できるのでしょうか。
考古学の発見により、聖書に記されている歴史的事実が証明されることもあります。
とはいえ、神様に関する聖書の言葉が正しいことを、どのように知ることができるのでしょうか。また、神様の言葉が正しく伝えられていることを、どのようにして確信できるのでしょうか。
ペテロは、この質問にも答えています。
ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。
預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。(20-21)
つまり、人々が聖書を書いたとき、自分の思いや意見だけを書いたのではありません。むしろ、聖霊様が彼らの思いと言葉を導いてくださったのです。
ただ、誤解しないでください。多くの場合、神様は自分の言葉を直接口頭で伝えたわけではありません。
確かにそのような場合もありましたが、多くの場合、神様はそれぞれの人々の人格や教育、話し方を用いて、彼らが自分の言葉でメッセージを私たちに伝えることを許されたのです。
そのため、神様は羊飼い、漁師、王、祭司、取税人、そして医者など、さまざまな背景を持つ人々を用いました。聖書には約40人の著者が関わりました。彼らは三つの大陸から来ており、三つの異なる言語を使用しました。
さらに、聖書が完成するまでに約1500年もの年月がかかりました。それにもかかわらず、彼らの証しは一貫しており、神様とその御業に関するメッセージは統一されています。
だからこそ、私たちは確信を持っています。
そういうわけで、ペテロはこう言いました。
夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。(19b)
「夜が明ける」とは、イエス様がこの世に戻られることを指しています。「明けの明星」とは、イエス様ご自身を指します。
したがって、ペテロが伝えたかったのは、この世の本当の光であるイエス様が戻られるその日まで、イエス様が残してくださった光に注意を払うべきだということです。
この暗い世において、神様の言葉は私たちの足元を照らす灯火です。その言葉を通して、私たちは神様がどのような方であるのか、そしてどのようにして神様を喜ばせることができるのかを知ることができます。この言葉こそが私たちの信仰の基盤なのです。
あなたはどうでしょうか。あなたの信仰はただ自分の経験に基づいているのでしょうか。それとも、あなたの信仰は神様のみ言葉に基づいているのでしょうか。
