カテゴリー
テモテへの手紙第ー

女性たちと教会のリーダーシップ(3)

この箇所をまとめる前に、もうひとつ触れておくべき点があります。

15節で、パウロはこう語っています。

女は、慎みをもって、信仰と愛と聖さにとどまるなら、子を産むことによって救われます。(テモテへの手紙第一2:15)

ある聖書の解釈者はこう述べています。「この節は、聖書学者にとっても極めて解釈の難しい箇所です。」

私もその意見に深く同意します。では、パウロがここで語ろうとしたことは一体何だったのでしょうか。

もちろん、パウロが「女性は救われるために子どもを産まなければならない」と言ったとは考えられません。なぜなら、彼は他の手紙の中で、救いは信仰によって与えられると一貫して語っているからです。

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8-9)

では、パウロが意味したこととは何でしょうか。

14節では、彼はこう語っています。

そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。

この言葉は、非常に厳しく響くかもしれません。「女性たち、すべての罪はエバのせいです。彼女のせいで、この世界は混乱に満ちているのです」――そんな印象を与えるかもしれません。

だからこそ、もしかするとパウロは、その厳しさを少し和らげようとしたのかもしれません。つまり彼は、女性たちに神様がエバに与えられた刑罰を思い起こさせているのです。それは、女性が苦しみを伴って子を産まなければならないという現実です。

パウロは女性たちにこう伝えています。出産の苦しみは、この世がエバの罪によってもたらされた痛みと呪いにあることを思い出させるものです。出産の痛みを通して、私たちはエバの罪と世界の嘆きを思い起こすのです。

けれども――あなたたちがイエス様とその十字架の御業を信じ、 神様に対する信仰、周囲の人々への愛、そして聖霊の力による聖い歩みに生きるならば、あなたたちは必ず救われるのです。

この解釈が正しいとすれば、「子を産むことによって」という日本語訳――特に「によって」という表現――は、あまり適切ではないかもしれません。別の訳し方として、「〜をくぐって」あるいは「〜を通って」という表現が考えられます。

たとえば、第一コリント3章15節で、パウロは同じギリシャ語の語を用いてこう記しています。

その人自身は火の中をくぐるようにして、助かります。

ですから、もしかするとパウロは、女性たちにこのように語っていたのかもしれません。「たとえあなたたちが、エバに与えられた呪いを受け、出産の苦しみをくぐり抜けるとしても、イエス様を信じて歩むなら、あなたたちは救われるのです。」

この希望について、パウロはローマ書の中でも語っています。

私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。

私たちは、この望みとともに救われたのです。(ローマ書8:22-24)

とにかく、他にもさまざまな解釈はありますが、これが私の理解です。

さて、女性と教会のリーダーシップの話題に立ち返り、この内容をまとめたいと思います。

この問題について、私たちは慎重に思いを巡らせる必要があります。このテーマを議論している人々がそうしているように、このブログを読んでいる皆さんにも、ぜひ考えていただきたいのです。

仮にパウロの指示がエペソの教会に限定されたものであると考えるならば、次の点を考えてみてください。

1.文法的にやや解釈の幅がありますが、おそらくパウロは女性が誰に対しても教えてはいけないと言っているわけではありません。(このシリーズのパート1で、私がそう考える理由を説明しました。)

むしろ、パウロは女性が男性に対して教えることを禁じているのです。ですから、あの箇所を言い換えるならこうなります。「女が男を教えたり、男を支配したりすることを許しません。」

しかしもし、エペソ教会の問題が「女性たちが十分に教えられていなかったこと」だったとするなら、なぜパウロは「女性が誰に対しても教えたり、支配したりすることを禁じます」とは語らなかったのでしょうか。

なぜその指示は「男性に教えたり、支配したりすること」に限定されているのでしょうか。その女性の偽教師たちは、他の女性や子どもに対してなら教えたり支配したりしても構わない、ということでしょうか。

2.エペソの教会に女性の偽教師がいたという証拠は、どこにあるのでしょうか。パウロはどこで「女性の偽教師」について言及したのでしょうか。彼女たちの名前を挙げていたでしょうか。

一方で、エペソには男性の偽教師がいたことは確かです。なぜなら、パウロは彼らの名前を挙げているからです(第一テモテ1:19–20;第二テモテ2:16–17)。

もし女性の偽教師が重大な問題だったのなら、なぜパウロは彼女たちの名前を挙げなかったのでしょうか。

3.もしパウロが「十分に教えられていない者たちが教えたり、支配したりすること」を禁じたかったのだとすれば、なぜ彼は「女性の偽教師」だけに限定して語ったのでしょうか。

なぜ「偽教師たちが教えたり、支配したりすることを許しません」と言わなかったのでしょうか。

一方で、女性が主任牧師や長老になってはならないと考える人は、次の問いにも向き合うべきです。

1.なぜプリスカという女性は、夫と共にアポロを教えることが許されたのでしょうか(使徒の働き18:26)。

2.もし教会のリーダーは男性であるべきであり、かつ使徒が特別に偉大なリーダーであるとするなら、ユニアとはいったい誰だったのでしょうか(ローマ16:7)。

では、その箇所をどのように解釈すればよいのでしょうか。

「使徒たちはユニアをよく知っています。」

あるいは、「ユニアは使徒として知られています」と訳すべきかもしれません。

その原語の表現には、やや解釈の余地があります。しかし、もしユニアが使徒であったのなら、パウロの指示はエペソ教会に限定されると考えるのが自然でしょう。

ともかく、以前にも述べたとおり、聖書学者たちの間にはより詳細な議論があります。ですから、可能であれば、両方の立場に耳を傾けてみてください。そして、それぞれの議論を聖書と照らし合わせながら、自らの結論を導いてください。

ただし、私はもう一度強調したいのです。この問題によって、自分の教会を分裂させてはなりません。もしあなたが教会のリーダーたちの方針に納得できないのであれば、静かに別の教会に移ることを検討してください。

カテゴリー
テモテへの手紙第ー

女性たちと教会のリーダーシップ(2)

前回の記事では、教会における女性たちのリーダーシップに関するパウロの教えについて取り上げました。その中で、パウロはこう語っています。

私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。(テモテへの手紙第一2:12)

前回の記事でお伝えしたように、ある解釈者たちは、パウロの指示がエペソにいた女性たちに限定されていると考えています。

しかし一方で、他の解釈者たちは、パウロの指示はすべての教会に適用されるべきだと主張しています。

では、その立場の根拠は何でしょうか。

まず1つ目の根拠は、第3章の記述です。パウロが教会の監督(現代における主任牧師や長老)について語る際、その任務を男性に限定しているように見える、という点です。

そこには、女性がその働きに加わる可能性についての示唆は見られません。実際、パウロは「監督の妻たち」については言及しますが、「監督の夫たち」には一切触れていません(比較対象としては、5章9節を参照してください)。

さらに、この立場の解釈者たちは、第13〜14節にも注目します。

アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。(13-14)

この議論の中心は、神様がアダムとエバを同時に造られなかった、という点にあります。神様はまずアダムを造り、次にエバを造られました。つまり、アダムが家庭におけるリーダーとして召されていたことを示しているのです。

そして、神様はアダムが使命を果たすことができるように、彼にエバを「助け手」として与えてくださったのです(創世記2:18)。

第一コリント11章3節、および7〜10節では、パウロがそのような創造の秩序について教えています。

また、パウロは夫婦関係について語る際、夫にリーダーシップを委ねられていることを明確にしています(エペソ5章参照)。

もちろん、ある意味で夫婦は互いに従い合うべきですが、パウロによれば、妻は主に従うように、夫にも従うべきだと語られています。なお、彼はそのような従順の命令を夫側には与えていません。

そのため、この立場の解釈者たちは、家庭における男性のリーダーシップの原則を、教会におけるリーダーシップにも当てはめます。彼らによれば、夫が自分の家族を導くように、男性は神の家族である教会を導くべきだというのです。

また、彼らは13〜14節におけるパウロの要点として、アダムがエバを正しく導かなかったことにより、エバが惑わされて罪を犯し、その影響でアダム自身も罪に陥った、という理解を提示します。

この立場についてさらに詳しく論じることもできますが、ここではこれが彼らの中心的な議論であると押さえておきましょう。

では、なぜクリスチャンたちはこのパッセージの意味についてこれほど議論するのでしょうか。

それは、パウロがアダムとエバの物語を引用するときに、彼の意図をテモテが当然理解しているものとして語っているからです。

パウロは次のようなことは語っていません。

「エバはアダムから十分に教えられていませんでした。だから彼女は罪を犯してしまったのです。同じように、エペソの女性たちもまだ十分に教えられていないので、しばらくの間、彼女たちが教えたり、男性を導いたりすることは許可しません。」

一方で、パウロはこうも語っていません。「アダムにはリーダーシップの務めがありました。したがって、彼は教会のリーダーシップの模範です。ゆえに、男性たちは教会を導くべきなのです。」

このように、もしこの問題についての議論が教会の一致を脅かすと判断したならば、私はその議論を続けることを避けます。この問題においては、私は教会の方針に従います。

明日、このテーマについての結論をまとめる予定です。

カテゴリー
テモテへの手紙第ー

女性たちと教会のリーダーシップ

この箇所は、聖書を信じるクリスチャンのあいだでも、最も議論を呼ぶ部分のひとつです。議論の焦点は、教会において女性が男性をリードしてもよいのか、特に、女性が主任牧師として仕えてもよいのか、という点です。

私の教会では、女性が主任牧師として仕えることを認めています。しかし一方で、今日の箇所に基づいて、女性は主任牧師として仕えてはならないと教えている教会もあります。

では、パウロが「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」と語ったとき、彼が意図していたのは、どのようなことだったのでしょうか。

もちろん、パウロが女性は絶対に教えてはならないと言っているのではないことは明らかです。なぜなら、彼はテモテの祖母ロイスと母ユニケが、テモテに聖書を教えたことを称賛しているからです(第二テモテ1:5、3:14〜15)。

さらにパウロは、年配の女性たちが若い女性たちに教えることを望んでいました(テトス2:3〜4)。

さらに、パウロの言葉が「女性は男性に対して絶対に教えてはならない」という意味ではないこともわかります。なぜなら、使徒の働き18章26節では、ある夫婦がアポロという人物に対して、より正確な神の道を教えたと記されているからです。

このことから、パウロが“何を意味していないか”は明確です。

では、“何を意味していたのか”についてはどうでしょうか。ここが、非常に議論を呼ぶ点です。

そこで、今回と次回の記事では、2つの主要な解釈を見ていきます。それぞれの立場の良い点も、課題となる点も公平に見ていきたいと思います。ですから、私は皆さんに挑戦します。この問いをよく調べて、ご自身の結論を導き出してください。

まず1つ目の立場は、パウロの指示がテモテの教会、すなわちエペソの状況に限定されているという考え方です。

この立場によれば、当時エペソの教会では女性たちが偽教師に騙されており、その結果、彼女たちは公の場で教えたり、男性たちを導いたりすべきではなかったというのです。

では、この立場の根拠は何でしょうか。

第一に、エペソには偽教師が確かに存在していたことが、はっきりと記されています(1:3〜7)。

第二に、この立場は新約聖書の記述に基づいています。パウロ自身が女性たちと共に頻繁に奉仕していたことが示されており、ローマ書16章をはじめ、他の複数の箇所にその様子が記されています。

そして最後に、この立場を支持する人々による14節の解釈を見てみましょう。

パウロはこう語っています。

そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。(テモテへの手紙第一2:14)

ある解釈によれば、パウロが語った意図はこうです。エバがアダムから十分に教えられていなかったために、サタンに騙され、罪を犯してしまった。それと同じように、エペソの女性たちもまだ十分に教えられていなかったため、まずは静かに学ぶべきだった、というのです。

しかし、正しい教えを受けたあとは、彼女たちも教えることができたのだ、というのがこの立場の理解です。

もちろん、他にもさまざまな議論がありますが、これがこの見解における中心的な論点です。

明日、もうひとつの立場を取り上げて、この箇所についてさらに考えていきましょう。

カテゴリー
箴言

女性とは。。。

箴言31:10-31では、私たちは女性とは何かを学びます。

この世の男性のイメージと同様に、この世の女性のイメージも歪んでいます。この世は、普段女性の見た目に焦点を当てます。

つまり、理想的な女性は細くてセクシーな美人です。けれども、レムエルの母は大切な教訓を教えてくれます。

麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31:30)

全てよりも、「本当の女性」というのは主を恐れる人です。

自分の麗しさと美しさを発展させることは、主との関係を強くするほどには価値がありません。

男性たち。結婚したいなら、女性の麗しさや美しさにごまかされないでください。本当の女性を探してください。つまり、全てよりも主を愛している女性を探してください。

この箇所をまとめたいなら、30節を覚えておきましょう。

しかし、レムエルの母はその息子に、どんな女性を求めた方が良いか、教え続けます。

1.彼女はしっかりする人です。(11)

美人は結局老けます。けれども、妻が美しい性格を持てば、彼女はもっともっと美しくなります。

しっかりする女性とはどんな女性でしょうか。美しい性格を持つ女性はどういう人でしょうか。

30節を心に留めておきましょう。彼女はすべてよりも主を追い求めます。そのような女性は、日が経てば経つほど、イエス様のようになります。

2.彼女は誠実な人です。(11)

あなたは彼女を信頼できます。また、彼女はいつも正直です。

3.彼女は夫を祝福します。(12)

彼女は尊敬をもって夫を自分よりまさっていると考えます。

4.彼女は怠けずに、頑張って、その家族のニーズに備えます。(13-15、21-22、27)

5.彼女は賢くお金を使います。(16)

6.彼女は自分の家族を無視せずに、経済的に家族を支えます。(17-19、24)

男性に対しても、女性に対しても、そのバランスを取るのは難しいです。もし、夫の給料が足りるなら、もちろん、その妻は働かなくていいです。けれども、この時代では、それはちょっと難しいです。

とはいえ、夫たち、妻たち、経済的な安定を得るために、自分の結婚や子供を無視してはいけません。

7.彼女は気前がいいです。(20)

8.彼女のおかげで、夫は皆に尊敬されます。(23)

人前で、自分の夫について批難する妻もいますが、良い妻はそうしません。

9.彼女は力と気品を身につけます。(25a)

人々はその夫が尊敬できるだけでなく、彼女も尊敬できます。

10.彼女は主を恐れるので、未来に関して心配しません。(25b)

彼女は全く主を信頼します。

11.彼女は知恵を持って、その口から知恵が出ます。

夫にも、子供にも、周りの人にも、彼女は神様からの知恵を教えます。

12.その夫と子供は彼女を尊敬します。(28-29)

それは、理想的な女性です。神様の定義によって、それは理想的な妻です。

この箇所、また箴言を終わらせる前に、二つのポイントをお教えしましょう。

一つ目は、女性たちだけではなく、男性たちもそのような人になるべきだということです。もちろん、レムエルの母は女性について話していますが、その言葉を男性にも当てはめることができます。

二つ目は、神様の恵みを覚えておいてください。

女性たちが(また男性たちも)この理想を見る時、がっかりするのは簡単なことです。なぜなら、私たちが自分自身を周りの人々と比べると、自分の欠点と弱さと失敗が見えるからです。

私たちが決してその理想に達成できないので、自分自身を厳しく非難します。

しかし、神様が御子を遣わされたのは、私たちが不完全だからです。神様が私たちを愛してくださるのは、私たちが理想的な男性や理想的な女性だからではありません。

私たちは何度も失敗します。それでも、神様は変わることなく私たちを愛してくださるのです。

イエス様は私たちの罪と失敗のために死んでくださったので、私たちは今、こう言えます。

今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ12:1)

ですから、女性たち。自分に問いかけてみましょう。

「私はどのような女性でしょうか。そして、イエス様が私を愛し、救ってくださったのだから、私は将来どのような女性になれるのでしょうか。」

男性たち。あなたは、どのような男性でしょうか。

イエス様があなたを愛し、救ってくださったのだから、あなたは将来どのような男性になれるのでしょうか。

そして、イエス様があなたにそのような恵みを与えてくださったように、あなたも周りの女性たちにその恵みを分かち合うことができるでしょうか。