これはとても短い詩篇です。この詩篇を読む時、ジャック・ヘイフォードの歌「Majesty」(「威光」)という歌を思い出します。
詩篇93篇は私たちに神様の威光を思い出させます。また、神様がこの世のすべてを治めておられることを思い出させます。詩人は宣言します。
主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはありません。
あなたの御座は、いにしえから堅く立ち、あなたは、とこしえからおられます。(詩篇93:1-2)
時々、私たちはこの世を見て、戦争があったり、暴力があったり、いろんな悪があったりするので、本当に神様がこの世を治めておられるのだろうか、と疑います。
けれども、詩人は私たちに思い出させます。
「神様はまだ治めておられます。神様はまだこの世を治めておられます。神様はこの世界を造られ、そのずっと前に、ご自分の王座を確立されました。
だからパニックに陥らないで。思い悩まないでください。むしろ、永遠の方に信頼してください。」
そして、詩人は私たちに尋ねます。「海の力が見えますか。波の音が聞こえますか。どのようにその波が海岸に激しく打ち寄せるか見えますか。神様は海よりも力強い方です。」
そして、詩人は歌います。
あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。(5)
神様は威光である方だけではなく、聖なる方です。私はそれを聞いて慰められます。なぜなら、神様が力強くてすべてを治めておられるけれど、神様が悪を愛する方なら、私たちは本当に困るからです。
しかし、神様は聖なる方であり、良い方であり、正義の方です。
だから、神様の民として、私たちは聖なる民にならなければなりません。へブル人への手紙の著者はこう書いています。
聖くなければ、だれも主を見ることができません。(へブル12:14)
だから、神様の威光と聖なるさを覚えて、聖さを求めましょう。
そしてある日、私たちは自分の目で、すべてを治めておられる神様を見ることになります。
