時々、私は人々が本当に完全な人生を望んでいるのか疑問に思います。
彼らは結婚関係や他の人間関係について文句を言ったり、仕事や健康について文句を言ったりしますが、結局何も変わりません。まるで文句を言うことが好きで、相手の同情を得るのが好きなように見えます。
けれども、イエス様は私たちがそのように生きることを望んでおられません。イエス様は私たちがみじめさに浸ることを望んでいるのではなく、むしろ癒すことを望んでおられるのです。
この箇所では、その大切な真理を学ぶことができます。
この話には、38年間病気に苦しんでいた人が出てきます。おそらく彼は毎日、乞食をしなければならなかったでしょう。
イエス様は彼の状態を聞いたとき、非常に単純な質問をされました。「よくなりたいか。」
多くの人々は、彼が「はい」と答えるのは当然だと思うかもしれません。しかし、もしかしたら彼は働かずに乞食をする生活を快適に感じていたのかもしれません。
また、周囲の人々に世話される生活を好んでいた可能性もあります。その意味では、彼の人生はある意味で楽だったとも言えるでしょう。
それでも彼は癒しを望みました。その時代にはある迷信がありました。それは、天使がベテスダと呼ばれる池の水を動かした後、最初に池に入った人が癒されるというものです。
彼はできるだけ早く池に入ろうとしましたが、いつも他の人に先を越されてしまいました。
それでも、イエス様は彼の答えを聞かれると、こう言われました。
起きて、床を取り上げて歩きなさい。(ヨハネの福音書5:8)
その乞食は、どのように思ったでしょうか。どうやら、彼はイエス様のことを全く知らなかったようです。
もしイエス様について聞いたことがあったとしても、彼はイエス様を認識していなかったようです。(ヨハネ5:12-13)
彼にとって見知らぬ人物が「起きて、歩きなさい」と言ったのです。
それでも、彼はイエス様の言葉に従い、その場で起き上がり、歩くことができるようになりました。
その後、神殿でイエス様は彼にこう言われました。
見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。(14)
この話から、私たちは何を学べるでしょうか。
私たちの多くは、人生の中で傷つくことを経験します。私たちの人生が壊れ、どうやって完全になるかが分からない時があります。
しかし、イエス様は私たちにこう問いかけておられます。「よくなりたいか。完全になりたいか。」
もし完全になりたいなら、その乞食のように、イエス様の言葉に従わなければなりません。イエス様の言葉を疑ってはいけません。「それは無理だ」と言ってはいけません。ただ、イエス様の言葉に従いなさい。
この乞食の場合、癒しは即座に訪れました。あなたの場合、癒しには時間がかかるかもしれません。
特に、壊れた人間関係や失恋、苦い思いの癒しは時間を要することがあります。そのため、聖霊の助けが必要です。聖霊に頼れば、聖霊はあなたの心の中で確実に働いてくださいます。
また、教会の人々からの助けが必要かもしれません。教会はキリストの体です。そのため、問題があるときには私たちは互いに助け合います。(これが、私たちが教会を必要とする理由の一つです。)
しかし、完全になりたいのであれば、あなた自身が完全さを求め、イエス様を信頼し、イエス様が言われることに従うべきです。
その時、イエス様はその言葉に従う力を与え、あなたを癒してくださいます。
一方で、イエス様を信頼せず、自分の道を行き続けるなら、つまり罪の道を選び続けるなら、イエス様が乞食に警告されたように、あなたの人生はさらに困難になるでしょう。(ヨハネ5:14)
あなたはどのような選択をしますか。
