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創世記のデボーション

この世にいるけど、この世のものではない

[あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。」

(イサク)はそこからベエル・シェバに上った。主はその夜、彼に現れて言われた。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」

イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り(ました)」。。。(創世記26:3,23~25)

天のお父さん、私はこの世にいるけれど、この世のものではありません。私は短い間、この世に寄留しているだけです。

だから、私がこの世の一時的なものに執着しないようにしてください。

むしろ、私が何よりもあなたを慕い求め、あなたがおられるところに、私の天幕を常に張る者となりますように。

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ペテロの手紙第一のデボーション

通過しているだけ

イエス・キリストの使徒ペテロから寄留している選ばれた人たち(へ)(ぺテロの手紙第一1:1)

「寄留している人たちへ。」

その言葉は私の心を打ちました。私は日本に27年間住んでいるので、ある意味で日本は私の国になっています。それでも、私がこの国に実際に属していないというリマインダーをよく見ます。

例えば、今でも、私の日本語はいまいちですし、和食よりも洋食が好きです。(私には、納豆がまだ苦手ですね。)

クリスチャンとして、私たちも同じような経験をしています。この世は私たちの「国」のように見えますが、私たちは実際にこの世に属していないのです。

この壊れた世界を見ると、その真理を実感するでしょう。戦争もあるし、疾患もあるし、罪もあるし、苦しみもあるし、死もあるのです。

私たちはただこの世を通過しているだけです。

でも、この世にあって、私たちは生ける望みを持っています。私たちは選ばれて、神の子どもになりました。私たちは朽ちることも、汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぎました。その遺産は、私たちのために天に蓄えられています。(4)

イエス様が私たちの罪のために死んでくださり、三日目によみがえられたので、その遺産の確信を持っています。

さらに、聖霊様が私たちのうちに住んでおられ、私たちの力ではなく神様の力によって救いのために守られているので、私たちの遺産が確実なものであることを知っています。(1ー2、5)

だから、私たちがこの世に属していないというリマインダーを日々目にし、また、試練によって悲しみの中で試されることがあっても、私たちは「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍る」ことができます。

なぜなら、私たちは「信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」(6ー9)

私はもう一度言います。「私たちは喜ぶことができます。」

しかし、私たちは本当に喜んでいるでしょうか。それは、時に難しいことです。特に、苦しみの中にあるときには、喜ぶことが難しく感じられます。

けれども、一つのことを覚えているなら、私たちは喜ぶことができます。それは、「私たちはただこの世を通過しているだけ」という真理です。