前回の記事でこのことに触れましたが、もう少し詳しく話したいと思います。つまり、神様の民の寛大さによって、彼らは神様に栄光を帰すのです。
パウロはこう書きました。
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。
この務めが証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。
そして彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた、神のこの上なく豊かな恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになります。(コリント人への手紙第二9:11-14)
この箇所の重要なテーマの一つは、私たちの寛大さによって、周りの人々が神様に感謝することです。
彼らは、自分の必要が満たされたからだけでなく、神様が私たちを通して働いておられるのを見るゆえに、神様に感謝します。彼らは、私たちの人生に溢れるこの上なく豊かな恵みを目の当たりにし、その恵みが彼らの人生にも広がっていくのを見ます。
残念なことに、多くの人々はクリスチャンを見ると、偽善者のように感じることがあります。また、愛に欠ける人や冷淡な人として映ることもあります。
しかし、イエス様の恵みに触れた寛大なクリスチャンを見ると、彼らは天の父を垣間見るのです。その天の父は、「ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださいます。」(マタイ5:45)
だからこそ、私たちの姿を見ると、彼らは神様に栄光を帰し、神様に近づくのです。
イエス様はこう言いました。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。(マタイ5:16)
光を輝かせる最も良い方法の一つは、人々に惜しみなく与えることです。
私たちがそうすると、ノンクリスチャンだけでなく、クリスチャンも励まされます。
彼らは、神様が決して自分たちを見捨てず、変わらぬ愛を注いでくださることを知るのです。そして、他のクリスチャンが自分の信仰によって生きる姿を見ることで、彼らもまた、自分の信仰によって生きるように励まされます。
そして、パウロのように、彼らは言葉に尽くせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。(15)
その賜物によって、人々の心は変えられ、神様から与えられた愛を周りの人々に惜しみなく分かち合い始めます。
あなたはどうでしょうか。あなたの寛大さによって、人々は神様に栄光を帰しているでしょうか。彼らはあなたの人生を通して神様を見て、感謝しているでしょうか。
