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ペテロの手紙第二

同じ価値の信仰

今日の聖句はただの挨拶にすぎませんが、それを読んだとき、私は心に深く響きました。

ペテロはこう書いています。

イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって、私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。(ペテロの手紙第二1:1)

ある英訳では、次のように書かれています。

私たちの信仰と同じ価値の信仰を受けた方々へ

その言葉について少し考えてみてください。ペテロはイエス様の最初の十二人の弟子の一人でした。さらに、その弟子たちの中でも、ペテロはイエス様の三人の親しい友人の一人でした。

それにもかかわらず、ペテロはイエス様を直接見たことのないクリスチャンたちに向けて、「あなたの信仰は私たちの信仰と同じ価値があります」と伝えました。

もしかすると、ペテロがその言葉を書いたとき、彼はトマスに対するイエス様の言葉を思い出していたのかもしれません。

あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。(ヨハネ20:29)

ペテロはこう言っています。「私はイエス様を見ました。山の上で、私の目の前でイエス様の姿が変わり、私はイエス様の栄光を見、神様の御声を聞きました。さらに、私はイエス様の復活も目撃しました。

けれども、神様の目には、あなたの信仰は私の信仰と同じように尊く、等しいものです。なぜなら、あなたはイエス様を見たことがないのに信じるからです。」

私たちは自分の信仰について考えるとき、しばしば自分を二流市民だと見なしてしまいます。牧師や宣教師、あるいは友人を一流市民と見なす一方で、自分を二流市民として考えることがあるかもしれません。

けれども、神様の目には私たちの信仰はペテロの信仰と等しいのです。ですから、私たちは実際には一流の市民なのです。

成熟したクリスチャンにとって、この真理は謙遜を促すものです。彼らは、他のクリスチャンの未成熟さや聖書の知識の不足を見て、その人たちを見下す誘惑に駆られることがあるでしょう。

もちろん、神様は私たちに成長を求められます。それはこの手紙のテーマの一つでもあります。私たちはイエス様の恵みと知識において成長すべきです。毎日、少しずつイエス様のようになることが求められます。

しかし、覚えておいてください。あなたは他のクリスチャンよりも優れているわけではありません。また、他のクリスチャンに劣っているわけでもありません。

私たち皆、神様の恵みだけによって救われました。私たちが他の人よりも良い人間だから救われたのではありません。むしろ、私たちはイエス様の完全な義によって救われたのです。

イエス様はこの世におられたとき、一切罪を犯されませんでした。そして、十字架で私たちの罪のために命を捧げてくださいました。だからこそ、イエス様を信じるなら、私たちはイエス様のおかげで神様に義と認められるのです。

あなたはどのように自分を見なしているでしょうか。他のクリスチャンよりも優れた者だと考えていますか。それとも、他のクリスチャンに劣る者だと考えていますか。

神様があなたをどのように見ておられるかを思い起こしてください。神様はあなたに他のクリスチャンと等しい信仰を与えられました。そしてその信仰は、神様の目には尊いものです。

ですから、周囲の人々と自分を比較することをやめましょう。むしろ、毎日、神様の恵みと愛の中で安らぎましょう。