カテゴリー
クリスマスの12日

クリスマス9日目

レアはまた身ごもって、ヤコブに六番目の男の子を産んだ。

レアは言った。「神は私に良い賜物を下さった。今度こそ夫は私を尊ぶでしょう。彼に六人の子を産んだのですから。」

そしてその子をゼブルンと名づけた。(創世記30:19-20)

ヘブライ語では、ゼブルンは「尊ぶ」を意味する言葉に聞こえます。

私たちは何をしても、望んでいる人から名誉を受けることはないかもしれません。レアがヤコブに6人の子を産んだにもかかわらず、聖書にはヤコブがラケルを尊んだように、レアを尊んだという示唆は見られません。

しかし、神様はイエス様を信じる私たちに、栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。それは私たちの行いによるのではなく、イエス様が私たちのためにしてくださったことによるのです。

「あなたは、人を御使いよりわずかの間低いものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、 万物を彼の足の下に置かれました。」。。。

それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。

ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。

イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。

多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。(へブル2:7-10)


ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。(第二コリント9:15)