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ネヘミヤ記

私たちの感情がなくなると

私がハワイに住んでいた頃、時々教会で山のキャンプに行きました。そこで私たちは賛美したり、良いメッセージを聞いたりしました。だから、帰ると私は本当に情熱を持って神様に仕えようと思わされました。

しかし、日常生活に戻るとどうなったでしょうか。山のキャンプでは、神様が近くに感じられ、神様に触れることができるように思えました。

けれども、帰ると神様は遠くなったように感じ、情熱も失われてしまいました。結局、生活そのものが劇的に変わることはなかったのです。

この箇所で、ユダヤ人もそのような経験をしました。彼らは神様の慈しみを祝ったり、自分の罪を告白して悔い改めたり、神様の前で神様との契約を結んだりしました。その契約で、彼らは神様の命令に従うことを約束しました。

具体的には、偶像礼拝する外国人と結婚しないこと、安息日を守ること、祭司たちとレビ人を支えるために献金を捧げることを約束しました。また、神様の宮をなおざりにしないことも約束しました。

その時、皆は非常に感情的になり、ずっと神様に従おうと思いました。

そして、彼らは祭りを祝ったり、エルサレムの城壁の奉献式を行いました。

しばらくの間、すべてはうまくいきました。けれども、彼らの日常生活が始まりました。彼らの最初の熱意も燃えた感情も次第になくなっていきました。

さらに、ネヘミヤはバビロンに帰らなければなりませんでした。なぜなら、彼は再び王様に仕えなければならなかったからです。

そして、ある日、ネヘミヤがエルサレムに戻ると、何を見たのでしょうか。

ユダヤ人はもうレビ人を支えなくなっていたため、レビ人は自分の農地に帰っていました。

さらに、ユダヤ人は安息日に仕事をしたり売買をしたりしていました。

それだけでなく、彼らは偶像礼拝をする外国人と結婚し始めました。

その時、祭司たちは何をしていたでしょうか。全く何もしませんでした。

実際、ある祭司はユダヤ人の敵であるサヌバラテの娘と結婚しました。ユダヤ人がエルサレムの城壁を建て直していた時、サヌバラテはその仕事を止めようとしていたのに、その祭司はサヌバラテの娘と結婚したのです。

その祭司の父である大祭司エルヤシブは、他のユダヤ人の敵(彼も城壁を建て直すことに反対していた)トビヤのために、主の宮の庭で大きな部屋を一つ準備し、トビヤはそこに住んでいました。

ネヘミヤはそのことを見て本当に怒りました。彼はトビヤを追い出し、その部屋を清めて、神の宮の器物を穀物のささげ物や乳香といっしょに、再びそこに納めました。(13:9)

そして、エルヤシブの息子のことも、主の宮から追い出しました。

その後、ネヘミヤがユダヤ人を叱ったので、彼らは安息日に仕事をするのを止め、もう一度レビ人を支え始めました。

この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが霊的に盛り上がった時、神様に「これからあなたに従う」と約束することは簡単です。

しかし、その感情がなくなった時どうするでしょうか。

神様は私たちの「山上の約束」にあまり感動しません。神様が知りたいのは、私たちが日常生活に戻った時、どうするかということです。

私たちはまだ神様のために生きるでしょうか。神様にまだ忠実に仕えるでしょうか。

それとも、私たちは自分の古い生活に戻るでしょうか。

主の宮、つまり私たちの体に悪いものが入ることを許すでしょうか。

この世のものと結婚しているでしょうか。それらのものは私たちを神様から引き離しているでしょうか。私たちの仕事やお金を、神様より優先するでしょうか。

あなたはどうですか。神様への情熱がなくなった時、あなたはどうしますか。