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クリスマスの12日

クリスマスの7日目

レアの女奴隷ジルパはヤコブに二番目の男の子を産んだ。

レアは、「なんと幸せなことでしょう。女たちは私を幸せ者と言うでしょう」と言って、その子をアシェルと名づけた。(創世記30:12-13)

アシェルとは、「幸せ」という意味です。

レアは心の穴を埋めるために、女奴隷であるジルパをヤコブに差し出し、ヤコブはジルパと関係を持ちました。そうすることで、レアは幸せを感じました。しかし、その幸せはすぐに消えてしまいました。

創世記30章20節では、レアはなおもヤコブの愛によって心の穴を埋めようとしています。

けれども、何百年も後、アシェルの子孫であるアンナは、本当の幸せがどこから来るのかを知りました。

ルカの福音書2章36〜38節には、アンナの物語が記されています。アンナは若い頃に結婚しましたが、7年後に夫を亡くしました。その後の人生、彼女は昼も夜も神を慕い求め続けました。

そしてある日、アンナはイエス様を見て、その心の穴が埋められました。

ちょうどそのとき(アンナ)も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの購いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子ことを語った。(ルカ2:38)

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士師記のデボーション

誰に自分を捧げているでしょうか

あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。

つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。(ローマ6:16)

今日の話を読んで、上記のパウロの言葉を連想しました。

イスラエル人たちは、アンモン人とペリシテ人の神々など、いろんな神々に仕え始めました。

どうしてでしょうか。私はわかりませんが、もしかしたら、彼らはその神々を通して、幸せと自由を見つけることができると思ったのかもしれません。でも逆に、アンモン人とペリシテ人たちがイスラエル人たちを苦しめ、打ち砕きました。

私たちはイスラエル人たちが愚かだったと思うかもしれませんが、私たちはどれだけ神様とその道を捨て、この世の神々を求めているでしょうか。

つまり、私たちは出世やセックスやお金やこの世のものを求めているということです。なぜなら、それらにおいて、私たちは自由と幸せを見つけられると思うからです。

でも、私たちに自由と幸せを約束するものは、逆に私たちを奴隷にして、滅ぼしてしまいます。喜びや命を見つけることなく、私たちは恥や苦しみや死を見つけてしまいます。

パウロの言葉を覚えて、その言葉に従いましょう。

以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。。。

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:19ー23)