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コリント人への手紙第一

成熟へ向かって進む

コリント人への手紙第一13:11で、パウロはこう語っています。

私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。(コリント人への手紙第一13:11)

この箇所の文脈を見ると、パウロは天国での人生と地上での人生を対比しているようです。

つまり、天国では私たちは成熟した存在となりますが、地上にいる間は、さまざまな意味でまだ幼子のような状態にあります。そのため、今の私たちには霊的な松葉杖が必要です。

神様の言葉をより明確に聞くために、預言が必要です。どう祈ればよいか分からないとき、異言が必要です。神様をより深く理解したいなら、限られた知識を持つ人間から学ぶ必要があります。

けれども、天国では霊的な松葉杖は不要になります。なぜなら、私たちは神様の御顔を直接仰ぎ見るからです。

それが、パウロの主旨だと思います。

もしかすると、パウロはコリントの人々に成長を促していたのかもしれません。

3章では、パウロは彼らの幼い考え方を批判しました(3:1-4)。

だから、この箇所で、パウロは基本的にこう伝えているのかもしれません。

「もう成長しなくてはなりません。幼いクリスチャンだった頃、あなたはこの世のように考えていました。しかし、今こそ成熟したクリスチャンになる時です。

くだらない争いは脇へ置きなさい。あなたが受けた賜物や祝福を誇るのではなく、思いと行動において成熟しなさい。」

あなたはどうでしょうか。幼子のように考えているでしょうか。幼子のように話しているでしょうか。幼子のように振る舞っているでしょうか。それとも、あなたの信仰は成熟へと進んでいるでしょうか。

幼いクリスチャンとして生きることに満足するのではなく、成長を目指しましょう。

もちろん、どれほど成長しても、私たちは完全な存在ではありません。天国に到達して初めて、私たちは完全になります。とはいえ、それを理由に成長を怠るべきではありません。

だからこそ、成熟へ向かって進みましょう。そして、キリストの恵みと知識において成長し続けましょう。(へブル6:1;第二ペテロ3:18)

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コリント人への手紙第一

幼子

2章で、パウロは「成熟したクリスチャン」や「御霊を受けている人」について語っています。

この場合、「御霊を受けている人」には「霊的な人」というニュアンスがあります。つまり、聖霊様を受けているだけでなく、その人は聖霊様の導きに従っているのです。

しかし、パウロはコリントの人々を「成熟したクリスチャン」や「聖霊様の導きに従っているクリスチャン」とは呼ぶことができませんでした。むしろ、パウロは次のように語りました。

兄弟たち。私はあなたがたに、御霊に属する人に対するようには語ることができずに、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように語りました。

私は、あなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉の人だからです。あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか。

ある人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っているのであれば、あなたがたは、ただの人ではありませんか。(コリント人への手紙第一3:1-4)

それは非常に厳しい言葉かもしれません。しかし、もしパウロがあなたを見たなら、何と言うでしょうか。もしイエス様があなたを見たなら、どのように語られるでしょうか。

私の言葉を誤解しないでください。もしあなたが最近クリスチャンになったばかりなら、私はあなたのことを言っているのではありません。

もちろん、あなたは霊的に幼い段階にあるため、成長すべきことが多くあるでしょう。しかし、もし赤ちゃんが決して成長しないなら、それは深刻な問題です。

例えば、もし私の10歳の娘がまだ哺乳瓶でミルクを飲んでいたら、それはおかしいでしょう。赤ちゃんの頃なら微笑ましい光景ですが、10歳の子どもにはふさわしくありません。

もし彼女が歩かずに、まだはいはいしていたら、それはおかしいでしょう。

また、もし彼女が赤ちゃん言葉しか話せないなら、それもおかしいでしょう。

しかし、多くのクリスチャンは、今もなお霊的に幼い状態にあります。彼らは、ほとんど成長することなく歩み続けているのです。

つまり、彼らはまだ「肉に属する人」と言えるでしょう。そのような人は、ノンクリスチャンのように生き続けます。

コリントの人々の場合、彼らの心はねたみに満ち、絶えず争っていました。彼らはプライドを持ち、リーダーたちを比較し、他のクリスチャンを見下していました。その結果、彼らの教会は分裂してしまったのです。

現代においても、どれほど多くの教会が同じ理由で引き裂かれているでしょうか。また、その問題によって、どれほど多くの人々が教会を離れているでしょうか。それは霊的未成熟の兆候です。

もしあなたの心がそのようなものに満ちているなら、どのように霊的に成長できるでしょうか。あなたは根本的なことに立ち戻らなくてはなりません。つまり、あなたは福音のミルクをもう一度飲む必要があります。

そのミルクとは何でしょうか。そのミルクにはどのような真理が含まれているでしょうか。

それは、神様があなたを愛しているということです。あなたの身分によってではなく、あなたの行いによってでもなく、神様ご自身の性質によって、神様はあなたを愛しておられます。

そして、あなたの罪のためにイエス様をこの世に送り、十字架で死なせるほどに、神様はあなたを愛してくださいました。

では、なぜ私たちはプライドを持つのでしょうか。なぜ自分自身を他の人と比べるのでしょうか。なぜ私たちは相手をねたみ、争うのでしょうか。それは、神様があなたを愛しているという真理を、まだ心から実感していないからです。

もし私たちが神様の愛を本当に知っているなら、他の人の評価を気にすることはありません。

私たちは相手をねたむこともなく、自分自身を他の人と比べることもありません。なぜなら、神様が私たちをありのままで受け入れてくださるからです。

さらに、私たちはプライドを捨てます。なぜなら、私たちには誇るべきものが何もないと悟るからです。私たちが持っているものすべては神様から与えられたものです。

もし私たちがその祝福を得るために何かをしたのではなく、ただ恵みによって受け取ったのなら、自慢する余地はないのです。

あなたはどうでしょうか。その真理が心に深く刻まれていますか。

私たちがこの世の考え方に流されないように。私たちが霊的に幼いままで留まらないように。

むしろ、その真理をしっかりと受け入れましょう。そうすれば、私たちは成長し、神様が望まれる姿へと変えられていきます。