祈りは簡単なものです。けれども、ある意味では祈りは難しいものでもあります。
根本的に、祈りとは神様と話すことです。私たちが他の人々と話すように、私たちは神様と話します。
それなら、どうして祈りはそんなに難しいのでしょうか。
おそらく、一つの理由は、私たちが耳で神様の答えを聞くことができないからです。もしモーセのように神様と直接話すことができたなら、祈りはもっと簡単なものになるでしょう。
しかし、私たちがそのように会話することができないために、私たちはしばしば「神様は本当に私の祈りを聞いてくださるだろうか。もしかして、私は間違った方法で祈っているのだろうか」と疑問に思います。
そのため、多くの人々は自然に神様と話すことができず、「祈りの形式」を使用します。つまり、「主の祈り」を彼らの祈りの指針とします。
けれども、祈りはただの形式ではありません。「主の祈り」を通して、私たちは祈りがどんなものか理解し、どんなことについて祈るべきかを知ることができます。
ただし、「主の祈り」は魔法の言葉ではありません。その言葉を言ったとしても、それが必ず神様があなたの言葉を聞かれることを意味するわけではありません。
それでも、多くの人々はそのように考えます。彼らは「主の祈り」をただの形式として使います。なぜなら、「イエス様はそのように祈りなさいと言われたでしょう?」と思うからです。
しかし、イエス様はこう言われました。
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。
彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6:7-8)
つまり、神様と普通に話す方が良いのです。特別な言葉は必要ありません。長く祈る必要もないし、美しい言葉を使う必要もありません。そのような祈りは神様を感動させるものではありません。
神様は、あなたの心からの言葉だけを聞くことを望んでおられます。
時々、人々はこう訊きます。「もし、神様が私の願いをするより先に、私に必要なものを知っておられるなら、どうして祈らなくてはならないのでしょうか。」
それは、神様があなたとの親しい関係を望んでおられるからです。もちろん、私たちが話さなくても、神様は私たちの思いをよく知っておられます。そして、私たちが願わなくても、神様は私たちのニーズに備えることがおできになります。
しかし、私たちが祈るとき、私たちは神様と出会い、その関係はさらに親しいものになります。神様は何よりも、そのような関係を望んでおられます。
一方で、私たちが何を言っているか考えずに祈ったり、ただ暗記した言葉を繰り返したりすると、そのような親しい関係を築くことはできません。
神様は、私たちの祈りを聞いてくださいます。そして、私たちが心を開いて聞けば、神様は私たちに語りかけてくださいます。だから、形式的な祈りをやめましょう。むしろ、心から神様と話しましょう。すべての喜び、悲しみ、悩みを神様に伝えましょう。
あなたはどうでしょうか。本当に祈っているでしょうか。それとも、ただ無駄な言葉を繰り返しているだけでしょうか。
