出エジプト記やレビ記の律法を読むとき、「この律法は私に本当に関係あるのか」と思うのは簡単なことです。
例えば、4〜5節をちょっと読んでみましょう。
あなたの敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、あなたは必ずそれを彼のところに連れ戻さなければならない。
あなたを憎んでいる者のろばが、重い荷の下敷きになっているのを見た場合、それを見過ごしにせず、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない。(出エジプト記23:4-5)
どれぐらい、私たちはそんな状況に遭遇するでしょうか。多分、そんな状況に遭遇することはないでしょう。
でも、その律法の文字だけではなく、その原則をも考えた方がいいです。
上記の律法の原則は何でしょうか。
イエス様は、こう言われました。
しかし、これを聞いているあなたがたに、わたしは言います。あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。
あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。。。
しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。
いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。
あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。(ルか6:27ー28、35ー36)
だから、旧約聖書にある戒めを見るとき、その文字だけではなく、その精神をも考えましょう。
そして、神様に「この言葉を通して、あなたは私に何を教えたいのですか」と祈りましょう。
