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ペテロの手紙第一

神様の御心に従って生きる

この手紙の冒頭から、ペテロは私たちに大切な真理を教えています。それは、私たちがイエス・キリストに従うために選ばれた者であるということです。

この真理こそ、この手紙の重要なテーマの一つであり、今日の箇所でペテロはそのテーマに立ち返っています。

私たちは自分に属する者ではありません。私たちは神様に属しています。私たちは自分のためではなく、神様のために生きるべきなのです。それが私たちの態度でなければなりません。

そういうわけで、私たちは自分の苦しみに耐え、自分の罪を捨て去ります。(1-3)

しかし、神様に従うということは、罪を避け、神様のために喜んで苦しむことだけを意味するのではありません。私たちは日々、そして毎秒、神様のために生きるべきなのです。ペテロはこう言います。

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4:7)

言い換えれば、私たちの人生が一時的なものであることを心に留めておく必要があります。イエス様はこの世にもう一度来られます。だからこそ、私たちが何かを行うとき、そのことをしっかり覚えていなければなりません。

この世の快楽や心配が私たちの考え方を曇らせないように注意するべきです。また、罪が私たちの心を支配することを許してはいけません。

なぜなら、それらによって私たちは最も大切なことを忘れてしまうからです。それは、神様とその御国です。私たちは毎日、神様に近づき、できる限り多くの人々を神様の御国へ導くべきです。そして祈るとき、私たちはそのことを考えるべきです。

けれども、私たちの祈りはどれほど自己中心的になっているのでしょうか。

もちろん、私たちが自分自身のために祈ってはいけないというわけではありません。イエス様が祈りの模範を示されたとき、私たちが自分のために祈ることを奨励されました(マタイ6:11)。

しかし、覚えておいてください。私たちは自分のために生きているわけではありません。だからこそ、祈るときは、まず最初に「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈るべきです(マタイ6:10)。

ところが、私たちは自分のことに集中し、この世のものや心配によって自分の考えが曇らされるとき、神様とその御国を忘れてしまいます。また、罪を犯し、再び罪の奴隷となると、私たちは神様とその御国を忘れてしまいます。

だからこそ、ペテロは「祈りのために、心を整え、身を慎みなさい」と言っています。

効果的な祈りを捧げるためには、私たちは心を整え、身を慎まなくてはなりません。

神様の御心にかなう祈りをするためには、心を整え、身を慎むことが必要です。

神様が私たちの祈りに応えてくださるために、私たちは心を整え、身を慎まなくてはなりません。

私たちの心と態度が正しくないなら、神様の御心にかなった効果的な祈りを捧げることはできません。

私たちの祈り方は、私たちの優先順位を反映しています。また、自分の祈りは、どれほど私たちが神様の御心に応じて生きているかを示しています。

では、自分の祈りはあなたについて何を表しているでしょうか。それは、神様の御心に従って生きる人を表しているでしょうか。

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マタイの福音書 マタイ20章 マルコの福音書 マルコ10章 ルカの福音書 ルカ18章

明確に語られたことを理解していない?

この話では、ルカの言葉が私の心に深く響きます。

弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。(ルカ18:34)

もちろん、「これらのこと」や「このことば」というのは、イエス様の死と復活を示しています。

ルカの言葉が私の心に深く響く理由は、イエス様が自分の死と復活について明確に語られたことです。弟子たちはその言葉を理解できたはずですが、それでも彼らは理解できませんでした。それはなぜでしょうか。

もしかすると、彼らはまだ霊的に成熟していなかったのかもしれません。多くの若いクリスチャンが聖書を読むとき、理解できないところが多いでしょう。けれども、私たちの信仰と知識が成長するにつれて、さらに理解が深まるでしょう。

あるいは、弟子たちには霊的成熟の問題だけではなく、イエス様の言葉を受け入れたくないという心の壁があったのかもしれません。イエス様がすぐに死ぬという現実を信じたくない彼らは、自分の耳を閉じてしまいました。

もう一つの理由は、彼らが神様の御心よりも自分たちの望みを優先していたことです。次の話の中でヤコブとヨハネの願いを見れば、彼らの自己中心的な姿勢が見えてきます。

しかし、どれほど私たち自身も同じような態度を取ってしまうでしょうか。聖書では神様の言葉がわかりやすく、神様が私たちの心にはっきりと語りかけてくださるにも関わらず、私たちはそのメッセージを見逃してしまうことがあります。

例えば、振り返ると、私がハワイに住んでいたとき、神様は私を日本に行くように呼ばれていました。何度も、「あなたは事務などの仕事には向いていない。ミニストリーをした方がいい」と言われました。

ある人々は率直に、「あなたは宣教師として日本に行くべきだ」と直接言われました。

けれども、当時の私はハワイを離れる気も、日本に行く気も全くありませんでした。

そのため、神様の言葉を受け入れることができませんでした。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という言葉を聞いても、「それは私のためではない」と思い込んでいました。

それでも神様は私の心に働き続け、数年後、日本に導かれました。そして、神様に従う喜びや、神様の言葉に従う喜びを経験することができました。

もし、あなたが心を神様に開けば、あなたもその喜びを知ることができるでしょう。

あなたの心は今、どんな状態でしょうか。神様があなたに語りかけておられるのに、その言葉を退けてはいませんか。それとも、その言葉に心を開いているでしょうか。

私たちはいつもこう祈りましょう。「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」

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マタイの福音書 マタイ6章 ルカの福音書 ルカ11章

山上の説教:神の御国。神の御心。

私は、英語のブログでこの箇所について書いたのは4年前でした。その記事を読み返すと、本当に懐かしい気持ちになり、振り返ってみると、神様の良さを見ることができます。

その当時、私は強いフラストレーションを感じていました。家計は悪くはありませんでしたが、理想的な状態ではありませんでした。

また、より良い仕事の機会がありましたが、その面接の日が平日だったため、休暇を取る必要がありました。けれども、なぜか私が勤めていた派遣会社はその休暇のリクエストを断りました。そのため、私は「どうすればいいのだろう」と悩みました。

最終的に、神様の恵みによってその面接に行くことができました。派遣されていた中学校の教頭先生が助けてくださり、派遣会社を説得して私が面接に行けるようにしてくださいました。

その面接に合格し、今ではより良い学校で働いています。

では、この話とこの箇所がどのように関係しているのでしょうか。この箇所で私たちはこう祈ります。

御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイ6:10)

正直に言うと、その朝、私は本当にストレスを感じていました。派遣会社が不公平だと思ったからです。(その以前、英語のブログ記事で、不公平な世界について書いたことがあったのに。)

以前も言った通り、私は自分の状況をコントロールすることはできませんでした。ただ、私の態度をコントロールすることだけはできました。とはいえ、それは非常に難しいことでした。

最終的に私はこう祈りました。「主よ、あなたの御心が天で行われるように地でも行われますように。天ではあなたの御心が完全に行われています。この地上でも、とりわけこの状況の中で、あなたの御心が完全に行われますように。

もし私がこの仕事を得ることがあなたの御心なら、それは素晴らしいことです。もしそうでないなら、私がそのことを受け入れられるように助けてください。」

さらに私は「御国が来ますように」という祈りも捧げました。

私にとってその仕事を得ることは非常に重要でした。しかし、それ以上に神様の御国は断然重要でした。

その時私が考えていたのは、「この仕事を得れば、もちろん給料が上がるけれど、一番大切なことは、時間が増えて、神の御国のためにもっと何かできるようになることです。」ということでした。

その日、私はこの箇所を読みましたが、6章の終わりまで読み続けました。なぜなら、この箇所でイエス様は「自分の命のことを心配したりしてはいけません」と言われたからです。

その日、私は本当にその言葉が必要でした。そして、この箇所の終わりでイエス様はこう言われました。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)

今、振り返ると、イエス様はその約束を確かに守ってくださいました。

それにもかかわらず、私は今でも時々物事を心配してしまうことがあります。

それでも、神様の恵みによって、私は次のように祈ります。「私の人生において、またこの地上で、あなたの御国が来ますように。あなたの御心が行われますように。」

4年前、私はこう祈りました。

主よ。あなたは私のストレスをすべてご存じです。私の心配もすべてご存じです。でも、あなたはこの全地の主です。

あなたは私の雇い主の主です。そして、もっと大切なのは、あなたが私自身の主であるということです。

どうかあなたの御心が行われますように。私の仕事の状況で、あなたの御心が行われますように。私の将来においても、あなたの御心が行われますように。

私が何よりもあなたの御国に焦点を当てられるよう助けてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。