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コロサイ人への手紙のデボーション

自分の心を守る

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4:2)

前回の記事で私は言いましたが、最近のニュースやSNSを見るとき、私の心が騒ぐのは簡単です。

でも今日、神様は、私が自分の心に注意を払うように思い起こさせてくださいました。 私は常に自分の思いを吟味し、祈って、それを神様に委ねる必要があります。

それだけではなく、私が自分の心を感謝へと導き、主にあって喜ぶことを選ぶようにと、神様は思い起こしてくださいました。

今日、たまたま詩篇17篇も読み、ダビデのことばを通して、神様の語りかけが私にいっそう深く響きました。

あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。私を炉で試されましたが、何も見つかりません。私は 、口の過ちを犯さないように心がけました。。。

私は、義のうちに御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。(詩篇17:3、15)

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ヨシュア記のデボーション

自分自身に気を付けなさい

だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。(ヨシュア記23:11)

今朝、私はそのことばに心を打たれました。

「自分自身に気を付けなさい。」

それだけでなく、「自分自身を十分に気を付けなさい」とも語られています。

何のためでしょうか。

それは、私のすべての思い、言葉、そして行動が、神への愛を映し出すものとなるためです。

今朝の私の心はやや騒がしく、態度も正しくありませんでした。

期末テストがあるのに、娘はかぜを引いて、私はそのことをすこし心配しています。また、職場でもいくつかイライラすることがあり、心が乱れました。

けれども、今日の聖書箇所を読んで、心をもう一度正しい方向へ向け、 何が本当に大切なのかを思い起こそうとしています。

それは、神を愛すること。 そして、周囲の人々を愛することです。

私たちは、自分の状況や感情に簡単に引きずられてしまいます。

だからこそ、ヨシュアの言葉を心に刻んでおきましょう。

「自分自身に気を付けなさい。」

そして――「あなたがたの神、主を愛しなさい。」

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ルカの福音書のデボーション

自分の心を守る

イエスはまず弟子たちに話し始められた。「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。」(ルカの福音書12:1)

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」(15)

そのことばを読んだとき、私は、自分の心にどんな偽善や貪欲さがあるのかを考えました。今もなお考え続けていますが、もう一つの思いが心に浮かびました。

それは、イエス様が私たちの心、そして心の中にあるものを深く気にかけておられるということです。だからこそ、ルカ12章でイエス様は二度、「気を付けなさい。警戒しなさい」と言われました。

では、私たちはどうすれば、自分の心を守ることができるのでしょうか。

今日の箇所を読んで、私が思ったのは、「私たちは心の中でどんな対話をしているのだろうか」ということです。

興味深いのは、17節の「考えた」と訳されているギリシャ語の単語が、英語の “dialogue” の語源となっていることです。つまり、「対話」です。

イエス様のたとえ話に登場する人物は、心の中で考えていました。彼は、自分自身と対話していたのです。そして、その対話は、彼の貪欲さを明らかにしました。

あなたの心の中で何が起こっているのか、知りたいと思いますか。

では、あなたの心の中で、どんな対話をしているのでしょうか。

自分との対話だけではなく、心の中で他人との議論がどれだけあるでしょうか。

その対話は、私たちの心の中身を明らかにします。だから、イエス様は私たちに注意されます。「心の中の対話が、あなたをどこに導いているのか——気を付けなさい。」

天のお父さん、私が自分の心を守ることができるように助けてください。貪欲に対しても、偽善に対しても。あなたとの関係や、私たちの人間関係を損なう態度に対しても。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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詩篇

苦難の中にいる時、心を守る

ソロモン王はこう書きました。

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)

もちろん私たちはいつもそうするべきですが、私たちが苦難の中にいる時は、特にそうするべきです。ソロモンの父ダビデは、それをよく知っていました。なぜなら、彼はいろんな試練を経験したからです。

詩篇86篇の最初で、彼は神様の助けを願います。

ダビデの人生を見る時、私たちが分かっているのは、苦難の中にいる時に彼が自分の力と知恵に頼らずに、神様を信頼したということです。だから、4節で、彼は言います。

主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。(詩篇86:4)

そして、彼は神様の性格について考え始めます。彼は祈りました。

主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。

主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。

私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。(5-7)

つまり、「私はいろんな問題があるけれど、あなたが私を愛してくださることを信じます。あなたが良い方であることを信じます。また、私が呼ぶとき、あなたがきっと答えてくださることを信じます。」

クリスチャンはそのことを信じるはずですが、試練に直面するとき、疑いが私たちの心に入るのは簡単なことです。しかし、ダビデは全然疑いませんでした。

むしろ、彼は神様の偉大さに焦点を当てました。つまり、ダビデは神様にとってダビデの問題が大きすぎることはないと思い出しました。だから、彼は歌いました。

主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比ぶべきものはありません。

主よ。あなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て、伏し拝み、あなたの御名をあがめましょう。

まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。(8-10)

そして、ダビデは自分の心について考えて、主に祈りました。

主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。(11)

ある英語の翻訳には、こう書いてあります。

あなたの道を私に教えてください。そうすれば、私はあなたの忠実さを信じます。

試練に直面するとき、この箇所は本当に大切だと思います。なぜなら、大変な問題に直面するとき、時々私たちの信仰は揺るぎ始めるからです。

けれども、試練の中で、ダビデは祈ります。「主よ、あなたの道を教えてください。私の心を一つにしてください。私があなたの真理の道を歩むように、私があなたを信頼できるように。」

私たちもそんな態度が必要です。私たちはいつも神様を見つめ、私たちの信仰を持ち続けるべきです。

だから、苦難の中にいる時、ダビデのように歌いましょう。

わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。(12-13)