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詩篇のデボーション

この壊れた世界を見るとき

拠り所が壊されたら
正しい者に何ができるだろうか。(詩篇11:3)

ニュースやSNSを見るたび、私は自分の心を導くことを思い起こさなければなりません。

この世のよこしまを見るとき、思い悩むのは容易です。

けれども、王はまだみ座におられます。 立ち去られないのです。

イエス様はすべてをご覧になります。 そして、この世に帰ってこられると、すべての人を裁かれるのです。(4~6)

その日、この世は癒され、私は私の王の御顔を見るのです。(7)

その間、私は自分の恐れや怒りや心配を脇へ置くことを選びます。

そして、私の良い王に信頼することを選ぶのです。

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民数記のデボーション

自分の心を導こう

イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。

その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。

こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神に対して聖なる者となるためである。

わたしが、あなたがたの神、主であり、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。わたしはあなたがたの神、主である。(民数記15:38~41)

去年、私の教会では、私たちは自分の心に従うのではなく、神様に従うように自分の心を導くことについて話しました。

それは新しい概念ではありません。モーセはイスラエル人たちに同じことを教えました。

「ただ自分の心に従うな。目の欲に従うな。そうすれば、淫らなことをして、さまよい歩いてしまいます。」

英訳によれば、「あなたは霊的な売春婦になります。」

だから、モーセはイスラエル人たちに言いました。「神とその道に従うように、自分の心を導こう。」

どうして彼らはそうするべきだったのでしょうか。なぜなら、神様はまず彼らを愛してくださり、エジプトの奴隷生活から救い出してくださったからです。

神様が彼らをご自分の民にしてくださったので、彼らは神様に対して聖なるものとなるべきでした。

そのように、神様は私たちをまず愛してくださり、サタンの国から救い出してくださいました。

私たちは神様の愛しているものなので、もう一度自分を霊的な売春婦として罪に売ってはなりません。

むしろ、私たちは神様に対して聖なるものとなるべきです。

私たちは、どのように自分の心を導くことができるでしょうか。

神様はイスラエル人たちに、一つの方法を教えてくださいました。

神様は彼らに、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように命じました。その目的は、服を着るたびに神様に従うように心を導くことを思い出させるためでした。

もちろん、私たちはそうする必要はありませんが、私たちが誰のものであるか、誰に従うべきかを日々思い出す方法を見つけるべきです。

最近、教会の友達が引っ越しをしたところ、そのアパートの礎に、こう書いてあります。

主は私たちの神。主は唯一である。(申命記6:4)

彼がそのアパートに入るたびに、それは彼の房になるかもしれません。

私の「房」は、黙示録4:11に基づく祈りです。毎日、私はこう祈ります。

主よ、私たちの神よ。 あなたこそ 栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。

あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。

みこころのゆえ、あなたは私を造られ、もう一日のために息吹を与えてくださいました。

私の人生によって、あなたがあがめられるように。アーメン。

あなたの房は何でしょうか。

自分の房を見つけましょう。

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詩篇のデボーション

自分の心を礼拝へ導く

わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:1ー2)

今日、この箇所を読んだとき、私は「どれだけ私は主をほめたたえるように自分の心を導くだろうか」と考えました。

「おい!自分よ。今日、主をほめたたえよ!主が良くしてくださったことを忘れるな。あなたへの主のいつくしみを忘れるな。」

もちろん、悪いときも、私たちはそうするべきです。ダビデが落ち込んだとき、彼はこう言いました。「おい!自分よ。どうしてあなたはそんなに落ち込んでいるの?主をほめたたえよ!」(詩篇42〜43篇)

でも、良いときにも、主をほめたたえることを覚えていることは大切です。私たちの祝福がどこから来たのか、自分に思い起こさせるべきです。(申命記6:10〜12)

この詩篇では、ダビデはそうしました。

私のただの意見ですが、おそらく、神様がダビデのバテ・シェバとの罪を赦し、ダビデの息子アブサロムの反乱の後に、神様がイスラエル王国をダビデに返されたときに、ダビデはこの詩篇を書いたのではないでしょうか。(第二サムエル記11〜19章)

あなたはどうでしょうか。主をほめたたえるように、毎日、自分の心を導いているでしょうか。

主のみこころを行い、主に仕える者たちよ。主をほめたたえよ、すべて造られたものたちよ。 主が治められるすべてのところで。

わがたましいよ 主をほめたたえよ。(21ー22)

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マラキ書のデボーション

心を導いて主に従う

今年、私の教会では、自分の心に単に従ってはいけないということを学んでいます。なぜなら、私たちの心が間違った道に私たちを導いてしまうことがあるからです。

だから、心に従うのではなく、むしろ神様に従うように、私たちは自分の心を導くべきです。

そのような態度を取ることはとても大切です。なぜなら、この壊れた世界では、私たちの考え方がひねくれてしまうのは簡単なことだからです。

ユダヤ人たちもそのようになりました。彼らはバビロンの追放から戻ってきて、神殿もエルサレムの城壁も再建されましたが、なお多くの問題に直面しました。

そのため、彼らは神の愛と神の正義を疑い(マラキ書1:2;2:17)、神様に仕える価値を疑いました(3:14)。

その態度は、彼らの神様への接し方に表れています。つまり、彼らは神様を侮ったり(1:6〜8)、神様のものを盗んだりしました(3:14)。

さらに、その態度は、ユダヤ人たちが自分の妻への接し方(2:14〜16)、また互いへの接し方にも表れています(3:5)。

しかし、すべてのユダヤ人がそのような態度を取っていたわけではありません。自分の状況にかかわらず、周りの人々の態度にかかわらず、彼らは自分の心を導いて、主に従い続けました。

神様が自分を愛しておられることを信じることを選びました。神様がいつかこの世に正義をもたらすと信じることを選びました。だから、彼らは神様に忠実に仕え続けました。

その結果は?

主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」(マラキ書3:16-17)

この世の問題や、自分の問題を見るとき、自分の考え方はひねくれてしまっているでしょうか。

自分の心を導き、神様を信頼し、従うことを選ぶでしょうか。