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イザヤ書

神様を忘れる

英語では、私たちはよく言います。「Out of sight, out of mind.」

つまり、しばらく相手を見ないとすぐに忘れてしまうのです。

残念なことですが、多くの人々は神様についてそのように考えます。神様を見ることができないため、もし活発に求めないと神様をすぐに忘れてしまうのです。

多くのクリスチャンも神様をすぐに忘れてしまいます。けれども、困った時には、私たちは神様をすぐに思い出して、叫びます。「神様!助けて!」

イスラエル人もその通りでした。彼らは偽物の神々と霊的な同盟を結び、シリアと政治的および軍事的同盟を結んだのです。

だから、神様は彼らを責められました。

あなたが救いの神を忘れてあなたの力の岩を覚えていなかったからだ。(イザヤ書17:10)

私たちはどれぐらいそのようなことをするでしょうか。私たちは他の神々を礼拝しないかもしれません。しかし、神様に頼れずに、私たちはお金に頼ります。神様ではなく、お金は私たちの岩になります。

あるいは、私たちの持ち物を何よりも大事にします。もしくは、私たちの仕事が上手くいくために妥協して、不敬虔な人々と働きます。

一時的にすべては上手くいくかもしれませんが、結局すべてを失います。イスラエル人とシリア人はそのことを学びました。

そして神様は言われました。

その日(つまり、全てを無くす日)、人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見、自分の手で造った祭壇に目を向けず、自分の指で造ったもの、アシェラ像や香の台を見もしない。(7-8)

その日が来る前に、今こそ神様を思い起こすべきではないでしょうか。

つまり、お金ではなく、神様こそを私たちの岩とすべきではないでしょうか。 なぜなら、人々が作った物ではなく、神様こそが強い砦だからです。