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ヨハネの黙示録

正義が来るとき

数年前、Facebookで、私のハワイの友人が小学校からの手紙を掲載しました。その手紙によれば、ある児童が下校途中、怪しい人物に誘拐されそうになりました。

幸い、通りかかった高校生がいたため、その子供は高校生の方へ逃げ、犯人はそれを見て逃走しました。

私たちの社会では、そのような出来事が増えており、恐ろしい現実です。時として、正義は本当に訪れるのかと疑問に思うことがあります。

黙示録6章では、聖徒たちも同じ問いを抱いていました。

今日の箇所では、正義がついに訪れます。悪者は裁かれ、そうした者たちを生み出した社会も滅ぼされます。反キリスト、その預言者、バビロン、そして反キリストに従う者たちは皆、倒れます。

反キリストとその軍勢は神様に対する最後の戦いのために立ち上がり、イエス様はご自身に属する者たちを取り戻すためにこの世に戻られます。

その時、イエス様が真に「忠実また真実」である方であることが証明されます。十字架において流されたご自身の血によって、それをすでに証明されましたが、この世界に正義と救いをもたらすことによって、もう一度それが明らかにされます。

もしかすると、この最後の戦いを思い浮かべるとき、映画の戦闘シーンを連想するかもしれません。けれども、実際には、神様が圧倒的に有利なのです。

神様の一言でその軍勢は滅ぼされ(黙示録19:21)、反キリストとその預言者は硫黄の燃える火の池に投げ込まれ(20節)、バビロンは倒れ、その焼かれる煙は世々限りなく立ち上り(3節)、猛禽たちは裁かれた人々を宴席として食い散らかします(17-18、21節)。

その結果は何でしょうか。礼拝です。なぜなら、正義がついに訪れたからです。

だからこそ、天にいる者たちは大声で叫びます。

ハレルヤ。救いと栄光と力は私たちの神のもの。神のさばきは真実で正しいからである。

神は、淫行で地を腐敗させた大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされた。。。

ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。。。アーメン。ハレルヤ。」(黙示録19:1-4)

そして、裁かれた人々による恐ろしい「宴席」の後に、栄光に満ちた宴席が整えられます。

神様の御座から声が響き、こう告げられます。

神のすべてのしもべたちよ、神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ。(5)

そして、天にいるすべての者たちが応えます。

ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。

子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。(6-8)

そして、御使いはヨハネに向かって、こう告げます。

子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい。。。これらは神の真実なことばである。(9)

では、私が言いたいのは何でしょうか。

正義が来ます。そして、その日、イエス様の花嫁である私たちは喜びます。

少し考えてみてください。私たちはキリストの花嫁となる資格はありませんでした。むしろ、私たちは裁きの宴席で滅びるにふさわしい者でした。

しかし、イエス様はご自身の義によって私たちを着せてくださいました。神様の目には、私たちは義とされ、キリストに愛される民となりました。そして、私たちは永遠にキリストと共に喜びます。

だから、この世の不正や堕落を見る時、その希望にしがみつきましょう。

正義は来ます。

イエス様は来られます。

そして、その日、天と地は、「忠実また真実」であられるイエス様への礼拝に響き渡ります。