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ヨハネの黙示録

知恵と思慮の必要性

今日の記事では、第二の獣について取り上げます。

この獣は地から現れ、子羊の角に似た二本の角を持っていますが、竜のように語ります。つまり、彼は神の子羊のように清く見えるものの、実際にはサタンの言葉を語るのです。

第一の獣は暴力を用いて、人々を従わせようとしました。けれども、第二の獣は欺瞞を使います。言葉だけでなく、奇跡も行います。しかし、結果は同じ——聖徒たちが迫害されるのです。

そして、中立的な立場は存在しません。あなたは獣の印を受けるか、神様の印を受けるか、いずれかを選ばなければなりません。

獣の印を受ければ、この世において通常通りに暮らし、必要なものを売り買いすることができます。ところが、神様の印を持っているなら、あなたは迫害を受けることになるのです。

そういうわけで、獣の印が文字通りの印なのかどうかは分かりません。クリスチャンの皆は神様の印を持っていますが、その印は誰の目にも見えません(7:3-4)。

ですから、もしかすると獣の印も目に見えるものではないのかもしれません。時が来れば、私たちはその印が何であるかを知ることになるでしょう。

では、今日の箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。あなたは迫害に備えて心構えをしているかもしれません。でも、欺瞞に対しても用心しているでしょうか。

イエス様はこう言われました。

偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。(マタイ24:24)

第二の獣は、最後の偽預言者です。

では、どのようにして私たちは彼と反キリストを識別することができるでしょうか。

ヨハネは、私たちには知恵と思慮が必要だと言っています(黙示録13:18)。

ヨハネによれば、第一の獣の番号は六百六十六です。聖書学者たちはその意味について議論を重ねていますが、依然として分かりにくいものです。だからこそ、私たちには知恵と思慮が必要なのです。🙂

私の意見ですが、こう考えています。聖書において「7」は「完全さ」を象徴します。したがって「777」は三位一体なる神様を表す数字です。

それに対して、「6」は「不完全さ」を象徴します。竜と二頭の獣は神様を真似ようとしますが、実際には不完全な偽物なのです。

私たちが知恵と思慮を得るためには、真の神様を知る必要があります。そうすることで、偽物を見分けることができるようになるのです。

あるクリスチャンは、自分にはそのような知恵や思慮は必要ないと思っています。なぜなら、反キリストが現れる前に、神様が彼らを天に引き上げてくださると信じているからです。

しかし、忘れてはならないのは、最後の反キリストや偽預言者が現れる前にも、別の反キリストたちや偽預言者たちはすでに登場するということです。

そして、第二の獣のように、彼らは子羊のように見えます。私たちと同じ言葉で語り、似たようなふるまいをします。ところが、実際には獰猛な狼なのです。私たちが彼らに惑わされないためにも、神様からの知恵と思慮が必要です。

あなたはどうでしょうか。

あなたは、ご自身の主とその言葉をどれほどよく知っているでしょうか。あなたは、偽物を見分けることができるでしょうか。