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詩篇のデボーション

誰のために、栄える木が実を結ぶのか

幸いなことよ、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人。

主のおしえを喜びとし 、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。

その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び  その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。(詩篇1:1-3)

詩篇1篇では、詩人は、神様のみ言葉に思いを巡らす人について書いています。彼によれば、その人は栄えて実を結ぶ木のようになります。

でも、私たちが誰のために実を結ぶのか、考えたことがあるでしょうか。私たちが栄えるとき、誰がその益を受けるのか、考えたことがあるでしょうか。

果樹は、自分に栄養や祝福を与えるために実を結ぶわけではありません。むしろ、その木は周囲の人々を祝福し、栄養を与えるために実を結びます。

私たちは、そのような人であるべきです。

多くのクリスチャンは、この箇所を読むとき、このように考えます。「聖書を読んで、その言葉に思いを巡らすと、私は祝福されます。」

もちろん、それが間違っているわけではありません。しかし、もっと大切なのは、私たちが実を結び、神様がその実を通して周囲の人々を祝福してくださることです。

私たち皆がそのような木であり、神様の恵みのパイプラインとなって、周囲の人々に触れるように。

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ルカの福音書 ルカ8章

祝福されて、周りの人々を祝福する

この箇所は、とても短いですが、私たちが大切なことを学ぶことができると思います。

この話では、イエス様はあちらこちらに行かれて、福音を述べ伝えられました。

もちろん弟子たちはイエス様と一緒に行きましたが、三人の女性たちも同行しました。それは、マグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデ王の執事の妻ヨハンナ、そしてスザンナという人です。

私たちは、その三人についてあまり詳しくは知りませんが、彼女たちはイエス様に触れられました。

イエス様はマリヤから七つの悪霊を追い出されましたし、ヨハンナとスザンナの病気を癒されたか、彼女たちから悪霊を追い出されたのです。要するに、その三人はイエス様によって祝福を受けたのです。

だから、彼女たちは感謝の心を持って、イエス様について行き始めました。それだけではなく、彼女たちは経済的にイエス様のミニストリーを支援し始めたのです。

私たちは、この話から何を学ぶことができるでしょうか。

私たち皆はイエス様によって祝福を受けています。もちろん、一番大きな祝福は、イエス様が私たちの罪のために死んでくださったことです。

とはいえ、もしかすると、イエス様があなたの結婚や家族を修復されたり、あなたの過去の傷を癒されたりしたかもしれません。

確かに、祝福を受けるのは素晴らしいことです。けれども、あなたは周りの人々を祝福しているでしょうか。

それとも、祝福を受けるだけで終わっていませんか。あなたは周りの人々に祝福を分かち合っていますか。

あるクリスチャンはこう考えるかもしれません。「どうして十一献金をささげるべきなのでしょうか。それは新約聖書の教えではありません。」

確かにそうかもしれません。しかし、クリスチャンとして、私たちは気前の良い人になるように召されています。(第二コリント8:7)

なぜでしょうか。それは、神様が単に私たちを恵みで満ちた器として望んでおられるだけではないからです。

神様は、私たちが恵みのパイプラインとなり、その恵みが私たちを通して流れ、周りの人々に触れることを望んでおられるのです。

もちろん、それには教会を経済的にサポートすることも含まれますが、それだけではありません。私たちは、自分の人生を神様にささげ、周りの人々に仕えるべきです。

あなた自身はどうでしょうか。あなたは単なる恵みで満たされた器でしょうか。それとも、恵みのパイプラインでしょうか。