いつイザヤがこの預言を書いたか私は分かりませんが、多分イスラエルの王ペカの治世の時に(列王記第二15:29)、もしくはホセア王の治世の時に書きました。(列王記第二17:3-5)
ペカの治世の時、アッシリアはイスラエルを攻めていました。ホセアの治世の時、アッシリヤはもう一度来てサマリヤを攻めていました。
とにかく、イスラエルは困っていたのに、神様に向かうことを拒絶しました。むしろ、自分のプライドと力によって、砕かれた物を回復しようとしました。
だから、神様は言われました。「あなたがたのプライドと罪のためにあなたがたは追放される。」
その警告の中で、鮮やかなイメージを通してイザヤはイスラエルの悪について話しました。そのイメージを通して私たちが悪の本質を学べると思います。
イザヤはこう記しました。
悪は火のように燃えさかり、いばらとおどろをなめ尽くし、林の茂みに燃えついて、煙となって巻き上がる。
万軍の主の激しい怒りによって地は焼かれ、民は火のえじきのようになり、だれも互いにいたわり合わない。(イザヤ9:18-19)
私は森林火災を見たことがありません。けれども、森林火災が始まると、すぐに広がって木や植木はその火災の燃料になります。結局、灰しか残りません。
悪はそのようなものです。放置されると、悪が広がって、人々は逃げられずにその悪の燃料になります。そして、悪はさらに悪を生みます。結局、皆が滅びてしまいます。
20-21節にこう書いてあります。
右にかぶりついても、飢え、左に食いついても、満ち足りず、おのおの自分の腕の肉を食べる。
マナセはエフライムとともに、エフライムはマナセとともに、彼らはいっしょにユダを襲う。それでも、御怒りは去らず、なおも、御手は伸ばされている。(イザヤ書9:20-21)
つまり、悪によって、結局誰も満足することはありません。
時々私たちの望んだことが叶ったら、嬉しくなると思うから罪を犯します。だから私たちの夢を得るために周りの人々を踏みつけます。
またはポルノや姦淫を犯して、私たちの結婚を捨ててしまいます。
また私たちのお金や持ち物の愛によって、周りの人々を傷つけます。
しかし、結局私たちはまだ不満です。それでも、私たちは悪に背を向けずにその道を行き続けます。その結果、周りの人々を傷つけ、私たち自身も滅びてしまいます。
イスラエルとユダはその通りになりました。そして、神様は裁きの日が来ると警告されています。
私たちのために裁きの日が来ます。私たちの行動のために私たちは裁かれます。
だからこそ、堅い心と私たちを滅びる罪を捨ててましょう。むしろ、私たちは悔い改めましょう。そうすれば、私たちが癒されるのです。
