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悪を見て、がっかりする時

この世の悪を見る時、私たちは簡単に失望します。悪人が神様を恐れないのに栄えるからです。彼らは自分のことだけ考えるので、他の人々を傷つけても、気にしません。

だから、彼らが栄える時、時々私たちは「どうして私は頑張って正しいことをし続けているのだろうか。正しいことをする価値が本当にあるのだろうか。」と思います。

アサフも、そんな疑いと戦いました。

けれども、彼は詩篇73篇を彼の結論から始めます。

まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。(詩篇73:1)

言い替えれば、いつか振り返る時、あなたは神様が良い方だと分かるということです。あなたが聖い心を持ち、神様に従うと、神様の慈しみを見ます。

とはいえ、アサフは自分の疑いとの戦いについて語ります。

しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。

それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。(2-3)

そして、4ー10節で、彼は言います。「彼らは他の人々と違って、元気だし、問題がないし、重荷がありません。だから、彼らは誇って、暴虐の着物を着ます。」

それに、その悪人は神様に逆らって叫びます。

どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。(11)

だからアサフは叫びます。

確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。

私は一日中打たれどおしで、朝ごとに責められた。(13-14)

けれども、アサフが神様の前に来たとき、悪人の最後の運命が分かったので、その疑いは消えてしまいました。

まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。

まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。

目ざめの夢のように、主よ、あなたは、奮い立つとき、彼らの姿をさげすまれましょう。(18-20)

要するに、彼らは裁かれます。彼らの繁栄は一時的なものですが、彼らの罰は永遠のものです。裁きの日、彼らはそのことが分かるでしょう。

その真理が分かった時、アサフは神様を疑ったことを恥ずかしいと思いました。「私は馬鹿だった」と言いました。

それでも、彼はこう言いました。

しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。

あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(23-24)

神様の忍耐について考える時、私は「良かった」と思います。なぜなら、私たちが神様とその慈しみを疑っても、神様は私たちのことを見捨てないからです。神様は私たちと共におられ、私たちが天国に着くまで導いてくださいます。

その日、私たちは神様の御顔を見て喜びます。

アサフはその真理が分かったとき、歌いました。

天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。

この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。

それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。

しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。(25-28)

主よ。天では、あなたのほかに、誰を持つことができましょう。罪を犯す人をねたむのが簡単なことです。なぜなら、彼らの人生が楽だと見えるからです。

けれども、あなたの近くにいることは良いことです。私が悪人の人生をねたまないように助けてください。むしろ、あなたが私の求めるものになるように。あなたがとこしえに私の心の岩、私の分の土地になるように。アーメン。

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詩篇

悪を見て、フラストレーションを感じること

「神様に従い、正しいことをするなら、本当に利益があるだろうか。私は苦しんでいますが、周りの人々は自分の道を行き、栄えています。」

多くの場合、私たちはそう感じます。私たちの人生を周りの人々の人生と比べる時、私たちは苦しんでいますが、彼らは自分の人生を楽しんでいるように見えます。だから、私たちは、「神様に従う価値があるだろうか」と思います。

けれども、ダビデは自分の人生を振り返り、私たちを励ましてくれます。彼はこう書きました。

悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。(詩篇37:1)

どうしてですか。

彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。(2)

だから、ダビデは私たちを戒めます。

主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。

怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。(7-9)

つまり、悪い人が栄える時、怒らないでください。あなたのフラストレーションを捨ててください。そうしないと、あなたの心が苦々しくなって、自分の信仰を捨てて、自分の道を行くことに誘惑されてしまいます。

しかし、神様を待ち望み続けると、悪人が断ち切られますが、あなたは祝福されます。

だから、ダビデはこう言います。

主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。(3)

言い換えれば、悪人が栄える時、あなたの信仰を捨てないでください。良いことをし続け、神様があなたに報いを与えてくださることを信じましょう。

そして、ダビデは言います。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(4)

ダビデが言うのは、「神様をあなたの主な願いにしなさい。神様をすべてよりも慕い求めなさい。そうすれば、神様はあなたの心の願いをかなえてくださる」ということです。

神様を慕い求めると、あなたはスポーツカーをもらうわけではありません。けれども、神様をあなたの喜びとすると、あなたが大切だと思ったものは、もうそんなに大切に見えなくなります。

また神様は、本当に貴いものであなたを祝福してくださいます。この世のものと違って、神様の賜物はあなたを満足させます。神様があなたの主な願いなら、あなたは本当の満足を見つけられます。

だから、ダビデはこう言います。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。(5-6)

今、あなたが報いをもらっていないと思うかもしれません。しかし、あなたの道を主に委ねるなら、神様は決して忘れません。

そして、ある日、皆があなたの行動を見て、神様を賛美します。

だから、悪人の繁栄をねたむ時、思い出しましょう。

ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。

なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。(16-17)

そして、ダビデは私たちを励ます。

人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。

その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。

私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。

その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。

悪を離れて善を行ない、いつまでも住みつくようにせよ。

まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。彼らは永遠に保たれるが、悪者どもの子孫は断ち切られる。(23-28)

あなたはどうですか。悪を見る時、フラストレーションを感じるでしょうか。この言葉を思い出しましょう。

主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。

私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。

だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。

全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。

しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。(34-38)

その最後の部分が大好きです。「神様に従う人は子孫ができる。」

日本語の翻訳は「子孫」と書かれているけど、ヘブル語で、その言葉には別の意味もあります。それは、「将来」です。つまり、「神に従う人には、将来がある」ということです。そして、その将来は良い将来です。

一方で、悪人には、良い将来がありません。希望がありません。

だから、悪を見ると、憤りを捨てましょう。むしろ、毎日主の前に静まり、待ち望み、主をあなたの喜びとし、主に信頼しましょう。そうすれば、生きがいのある人生を見つけられます。