カテゴリー
ヨハネの黙示録

人はなぜ悪を行うのか

どうして人々は悪を行うのでしょうか。それは悪魔のせいなのでしょうか。

あるいは、彼らは環境の影響を受けてしまったのでしょうか。周囲の不正や悪によって、悪に染まってしまったのでしょうか。困難な状況の中で、罪に巻き込まれてしまったのでしょうか。

それとも、別の原因があるのでしょうか。

今日の箇所を通して、私たちはその答えを見出せるかもしれません。

イエス様がこの世に来られる時、反キリストとその偽預言者、そして彼らの軍勢を打ち倒されます。その後、イエス様は約千年の間この世を治められます。

実際に文字通り千年かどうかは分かりませんが、ともかく、イエス様は長い間治められるのです。

そしてその時、復活したクリスチャンたちはイエス様と共にこの世を治めることになります。(黙示録20:4)

彼らは誰を治めるのでしょうか。おそらく、神の憤りを生き延びたこの世の人々を治めることになるでしょう。

復活した聖徒たちはもはや死ぬことはありません(6節)。しかし、神の憤りを生き延びた者たちは、依然として死すべき存在です。

その千年の間、この世の環境は天国に近づきますが、まだ完全なものではありません。その時代には、正義が全うされ、大いなる平和が地上にもたらされます。

ノアの洪水以前の時代のように、人々の寿命は長くなります。それでも人は死にます。なぜでしょうか。それは、この世に依然として罪が残っているからです(イザヤ11:1-9;65:17-25)。

このような背景のもと、イザヤはイエス様による裁きを描写します。

今の時代とは異なり、イエス様は完全なる正義を実行されます。人々は事実を歪めることができず、律法の抜け道も存在しません。有罪者は必ず裁かれます(イザヤ11:1-5)。

では、少し考えてみてください。もしこの世の状況がほとんど完全で、正義も完全に行われ、さらにサタンがその1000年間縛られていて、人々を誘惑することができないとしたら、なぜ人々はそれでも罪を犯し、死ぬのでしょうか。

その理由は、人々の罪が心に深く染みついているからです。人は罪を犯すことで罪人になるのではありません。むしろ、もともと罪人であるがゆえに罪を犯すのです。

現在の世界では、サタンは人を誘惑でき、また背景や環境からの影響もありますが、結局のところ人は本質的に罪人であるため、罪に走ります。

ダビデはこの真理を認めました(詩編51:5)。

パウロも同じくそれを認めています(エペソ2:1-3)。

この1000年間の時代には、その真理が明らかにされ、私たちの救い主の必要性も証明されます。

たとえ完全な世界に住んでいても、神の救いに値するほど良い人生を送る者は一人もいません。その時代、多くの人々がそれを悟り、イエス様を自らの救い主として信じるようになるでしょう。

けれども、他の人々はイエス様を拒みます。そして、サタンが再びこの世に現れることを許されると、多くの人々が彼に味方し、神に対して戦いを挑みます。

しかし、反キリストとその偽預言者のように、彼らは容易く滅ぼされるのです。また、反キリストとその偽預言者と同様に、サタンも火と硫黄の池に投げ込まれます(黙示録20:7〜10)。

だから、私たちは正直であるべきです。神様がサタンを縛らないことが原因で、私たちが罪を犯すわけではありません。背景や環境のせいでもありません。私たちは、もともと罪人であるがゆえに、罪を犯すのです。

だからこそ、私たちには救い主が必要です。

もしあなたがまだクリスチャンでないなら、今日、イエス様をあなたの救い主、そして主として受け入れてみませんか。