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詩篇のデボーション

私が愚か者のように振る舞うことがある?

愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(詩篇14:1)

天のお父さん、あなたがおられることを認めます。

それでも、私は、あなたがおられないように振る舞うことがあるでしょうか。

私があなたを脇へ置くときがあるでしょうか。

また、私の恐れ、心配、さらに私の罪深い欲求が治めるときがあるでしょうか。

私の予定にこだわりすぎて、あなたがしておられることを見逃すことがあるでしょうか。

イエス様、私は愚か者のように振る舞いたくはありません。

あなたがインマヌエル、私とともにおられる神であることを心にいつも留めさせてください。

あなたを毎日毎日、一瞬一瞬、求める心を与えてください。

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ルカの福音書のデボーション

愚か者で、心が鈍い

そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。(ルカの福音書24:25)

イエス様、その二人の弟子たちのように、私は愚かで、心が鈍いために、預言者たちの言ったことだけではなく、あなたの言ったことを信じられない時がどれほど多いでしょうか。

私は愚かで、心が鈍いために、すぐに落ち込み、絶望する時がどれほど多いでしょうか。

私は愚かで、心が鈍いために、この世界で、私の中であなたが何をしようとしているのか分からない時がどれほど多いでしょうか。

私は愚かで、心が鈍いために、あなたを信頼せず、愚かな決断をする時がどれほど多いでしょうか。

赦してください。

イエス様、私の目を開いてください。私に悟りを与えてください。あなたの言葉によって、私の心が内で燃えて、希望といのちと平和と喜びが湧き上がるように。

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ルカの福音書 ルカ12章

愚かな金持ちのたとえ話:私たちの時間が来るとき

私たちの命は非常にもろいものです。一瞬で、それが奪われることもあります。交通事故や地震などの災害が起これば、私たちは突然亡くなるかもしれません。

その日、私たちが神様の御前に立ったとき、神様は私たちに何と言われるでしょうか。

今日の箇所では、一人の男性がイエス様に、家族の遺産を分けるよう求めました。どうやら、彼の兄が遺産を公平に分けていなかったようです。

ところが、おそらくイエス様の目には、さらに大きな問題があったのでしょう。つまり、その男性はお金に心を奪われすぎていたのです。

彼の父親は裕福であり、彼は長い間、その遺産を受け取ることを夢見ていたのかもしれません。けれども、父親が亡くなったとき、彼は期待していたほどの遺産を受け取ることができず、その夢は崩れ去りました。

そこで、彼はイエス様に助けを求めました。

しかし、イエス様はその願いをきっぱりと断られました。

いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。(ルカの福音書12:14)

簡単に言えば、「絶対にだめだ」ということです。

そして、イエス様は彼に警告を与えられました。

それ以前、イエス様は弟子たちに偽善について警告されましたが、その男性の願いを聞いた後、イエス様は彼と弟子たちに対して貪欲について警告されました。

どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(15)

イエス様は、その男性と弟子たちに何を伝えたかったのでしょうか。

それは、私たちの人生において、この世のものが最も大切なものではないということです。快適な生活や豪華なライフスタイルは、本質的にはそれほど重要ではありません。

そして、イエス様はたとえ話をされました。その話の中に、一人の金持ちが登場します。彼は多くの財産を持ち、贅沢な暮らしをしていました。

そして、ある年、彼の畑は豊作となりました。彼はどのようにしようかと考えました。

彼は貧しい人々に食べ物を分け与えることもできましたし、財産を使って多くの人を助けることもできました。けれども、彼はそうせず、自分自身のことだけを考えました。そして、彼はこう言いました。

こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。

「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」(18-19)

多くの人々はそのような夢を抱いています。彼らは早く引退し、自分のためだけに生きたいと願っています。

「安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」

ところが、神様はその人にこう言われました。

愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。(20)

そして、イエス様はこのたとえ話を次のように締めくくられました。

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(21)

では、私の元の質問に戻りましょう。もし私たちがこの世を去り、神様の御前に立つとき、神様は私たちに何と言われるでしょうか。

神様はこう言われるでしょうか。 「愚か者よ。あなたは人生の中で無駄なものを追い求め、自分の人生を無意味なものにしてしまった。」

それとも、神様はこう言われるでしょうか。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかなものに忠実だったから、私はあなたに多くのものを任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ。」(マタイ25:23 )

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箴言

知恵のある人と歩む

私が知っている牧師の一人は、この箇所が大好きです。

知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。(箴言13:20)

その牧師はこの箇所をこのように説明します。

「ソロモンは、愚か者の友達が愚かになると言いません。(でも、もちろん彼らといつも時間を過ごすなら、あなたも愚かな決断をしてしまうかもしれません。)

ソロモンは、あなたが愚か者の友達になると害を受けると言います。愚か者と一緒によく遊ぶと、最終的に私たちは苦しんでしまいます。」

あなたにも、振り返るとそんな経験があるでしょうか。悪い人と遊んで、彼らの悪い行動に巻き込まれて、苦しんだことがあるでしょうか。

もちろん私はノン・クリスチャンと決して一緒に過ごしてはいけないとは言っていません。

もし彼らと時間を過ごさないなら、弟子を造りなさいというイエス様の命令をどうやって成し遂げることができるでしょうか。

でも、自分自身にこの質問をしなければなりません。誰が誰に影響を与えているでしょうか。あなたは彼らに影響を与えているでしょうか。それとも、彼らがあなたに影響を与えているでしょうか。

あなたがノン・クリスチャンに影響されないように、彼らとだけ時間を過ごすのではなく、知恵のあるクリスチャンとも時間を過ごすべきです。知恵のあるクリスチャンというのは、毎日神様と歩み、神様の声を聞く人です。

そんな人と時間を過ごせば、神様はしばしば彼らを通してあなたに話します。そして、その言葉を通して、あなたは命を得るでしょう。

あなたは誰と歩んでいるでしょうか。知恵のある人と歩んでいるでしょうか。愚か者と歩んでいるでしょうか。

神様と歩み、神様の声を聞く人から意見を受けているでしょうか。それとも、愚か者の意見を受け入れているでしょうか。

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詩篇

神様を拒絶すると

詩篇14篇と53篇は大体同じだから、今日それらについて話しましょう。

この詩篇では、人々が神様を拒絶した結果を見ます。

ある人は「神はいない」と言います。

聖書によれば、そのような人は愚か者です。愚か者というのは、「知能のない」という意味ではなく、「堕落している人」という意味です。

なぜなら、私たちが神様を拒絶すると、私たちは堕落に陥れてしまうからです。ダビデはこう書きました。

彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。(詩篇14:1)

あなたは、「ちょっと待ってください。神様を信じない良い人も知っています。それに、彼らはあるクリスチャンよりも良い人です。」と言うかもしれません。

それはそうかもしれません。しかし、人を人と比べるのは、人を神様と比べることとは全然違うことです。つまり、神様と比べると、私たちの罪の染みは明らかになります。

例えば、私たちを傷つけた人を心から許せないことがあります。

また、妻や夫に親切にできない時もあります。

さらに、私たちは短気になって、すぐに怒りを爆発させてしまうことがあります。

家や職場では、自己中心な態度を取ってしまうこともあります。

「でも、それは当然なことですよ。私たちは人間だから、誰も完璧じゃないです。」

けれども、もしそのことが当然だと思うなら、それは堕落した考え方です。

神様が人間を初めて造った時、そのことは全然当たり前のことではありませんでした。しかし、人間が神様を拒絶すると、そのことは「当然」になりました。

私たちが罪を当然だと思えば、それは堕落です。

私たちはいろんな言い訳を考えるかもしれませんが、神様の目に私たちは堕落しており、私たちの行動は忌まわしいものです。

私たちが神様から離れている間、私たちの道徳観念は堕落します。もし、私たちが善の源から離れたら、善を知っているとは言えません。

多くの人は神様から離れて、自分の道徳を造ろうと思いますが、神様の目で見ると、その道徳はいつも堕落します。

その結果は?

死です。また、裁きです。いつか、神様はこの世に戻って、この世を裁きます。

その日、神様に属する人は喜びます。けれども、神様を拒絶した人は恐れます。なぜなら、彼らは神様の聖さを見て、自分がどれほど堕落しているかを見ます。そして、彼らの言い訳が虚しいことを理解します。

だから、愚か者にならないでください。神様を認めて、私たちの王として受け入れましょう。ソロモンが言ったように、

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9:10)