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コロサイ人への手紙のデボーション

神様のまなざしで兄弟姉妹を見る

ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。

互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。

また、感謝の心を持つ人になりなさい。(コロサイ人への手紙3:12ー15)

時々、私はキリストにある兄弟姉妹に対して、いら立ちを覚えてしまいます。

しかし、今日の聖書箇所を読んだとき、神様は私に大切なことを思い起こさせてくださいました。

もちろん、私は神様に選ばれた者、聖なる者、愛されている者です。

けれども、私の兄弟姉妹も同じです。

だからこそ、彼らと接するとき、私は慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に着けるべきです。

また、神様は私に、忍耐をもって彼らを許し、愛するように命じておられます。

神様が私たちすべてを、ご自身の子どもとして大切にしておられるので、キリストの平和が私たちの心を支配すべきです。

神様が彼らをどのように見ておられるかを忘れてしまうと、私たちの心の中で彼らを罵るのは簡単になってしまいます。

しかし、それは間接的に神様を冒涜することになります。なぜなら、私たちは神様のかたちに造られた人を罵ることになるからです。(ギリシャ語では、「罵る」という語が神様に向けられるとき、常に「冒涜」と訳されます。)

だから今朝、神様が私に思い起こさせてくださったのは、ご自身の子どもたちは皆、神様に選ばれた者、聖なる者、愛されている者であるということです。だからこそ、特に私は自分の妻と娘を見るとき、その真理を覚えていて、彼女たちに接するべきです。

あなたはどうでしょうか。兄弟姉妹をどのように見ていますか。

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ルカの福音書のデボーション

私たちを喜ばれる神

さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。

そして祈っておられると、天が開け、 聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。

すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。(ルカの福音書3:21ー22)

私にとって興味深いのは、この話のあと、ルカがイエス様の家系図について書いていることです。そして、その家系図の最後に、ルカはこう記します。「アダムは神の子である」。

それを読んで、私はこう考えました。「アダムを造ったとき、神様はアダムに『あなたは私の愛する子。わたしはあなたを喜ぶ』と言われたのだろうか」。

私は分かりません。でも、もしかしたら、神様はそう言われたかもしれません。

もちろん、イエス様は罪のない神の子です。

でも、アダムも神様によって、完全な人間として造られました。

だから、神様がアダムに『あなたは私の愛する子。わたしはあなたを喜ぶ』と言われたとしても、不思議ではありません。

でも驚くべきことは、罪深い私たちに対しても、神様が『あなたは私の愛する子。わたしはあなたを喜ぶ』と言われることです。

どうして、神様はそう言えるのでしょうか。

それは、十字架でイエス様が、私たちの罪の代価を支払ってくださったからです。だから神様は、私たちを見るとき、罪ではなく、イエス様の義に包まれた私たちをご覧になります。

だから神様は、私たちに微笑みながら、『あなたは私の愛する子。わたしはあなたを喜ぶ』と言われるのです。

『あなたに怒る』とは言われません。

『あなたにはがっかりです』とも言われません。

むしろ、『あなたを喜ぶ』と言われます。

そのことを思い巡らし、心から喜びましょう。