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コロサイ人への手紙のデボーション

戦え!

彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。(コロサイ人への手紙4:12)

「彼はいつも。。。あなたがたのために祈りに励んでいます。」

「励む」という言葉は、新約聖書では「戦う」と訳されることもあります(第一テモテ6:12;第二テモテ4:7)。

だから、パウロの言葉を「彼は祈りによっていつもあなたがたのために戦っています」と訳すことができるでしょう。

そのことばは、私の心に深く響きます。

私はどれほど祈りによって、人々のために戦っているでしょうか。

今、私は特に二人の苦しんでいる人たちのことを思い浮かべています。でも、他にも苦しんでいる人たちを知っています。

だから、神様が「彼らのために祈って戦いなさい」と語っておられるように感じます。「戦いなさい。ただ短く形だけの祈りをしてはいけない。彼らのために戦いなさい。」

神様は今、あなたが誰のために戦うことを望んでおられるのでしょうか。

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ガラテヤ人への手紙

福音のために戦う

今日の箇所では、私たちは福音のために戦ったパウロの姿を見ます。

最初に、パウロはエルサレムへ行きました。それは、他の使徒たちと同じ福音を伝えているかどうかを確認したいと思ったからです。つまり、人は律法の従順によってではなく、恵みによって救われるのです。

そのとき、一部のユダヤ人クリスチャンが、「もしパウロの弟子であるテトスが本当にクリスチャンであるなら、割礼を受けなければならない」と主張しました。

けれども、パウロはこのことについてこう語りました。

私たちは、一時も彼らに譲歩したり屈服することはありませんでした。(ガラテヤ人への手紙2:5)

他の使徒たちはパウロを支持し、彼が異邦人に恵みの福音を伝えるよう促しました。(ガラテヤ 2:7-9)

しかしその後、パウロはこの問題についてペテロに対して立ち上がらなければなりませんでした。

以前、ペテロはコルネリウスとの経験を通じて、異邦人をクリスチャンとして受け入れていました。(使徒の働き10-11章)

さらに、ユダヤ人の律法に反してでも、ペテロは異邦人と共に食事をし、彼らの食べ物を口にするようになっていました。

ところが、エルサレムの教会から来たユダヤ人クリスチャンたちがペテロの行動を疑いの目で見たとき、ペテロは異邦人から少し距離を置き、ユダヤ人だけと食事をするようになりました。そして、他のユダヤ人クリスチャンたちもペテロの行動に倣ったため、偽りの福音によって、その教会は分裂の危機に陥りました。

こうして、パウロは福音のためにもう一度戦いました。

「ペテロ、いったい何をしているのか。あなたはユダヤ人なのに、これまで異邦人と会話し、彼らのように食事をしてきたではないか。それは、律法の従順ではなく、キリストへの信仰によって人が救われることを知ったからだろう。

あなたも、それを理解しているはずだ。律法を完全に守ることができる者は誰もおらず、律法によって救われる者もいない。それを知っていながら、なぜこのような行動をとるのか。」(ガラテヤ 2:14-16)

パウロがこれほどまでに熱心に福音のために戦いましたのは、その福音によって彼が救われたからです。この福音は、パウロやほかの誰かによるものではなく、神によって与えられたものでありました。彼が死へと向かう道を進んでいたとき、福音が彼を引き止め、命の道へと導きましたのです。

けれども、パウロは福音を受けるに値する者ではありませんでした。彼が律法を完全に守り、救いに値したから神が彼に福音を示したのではありません。それどころか、彼は教会を迫害し、多くのクリスチャンを殺しましたのです。

しかし実際には、パウロが生まれる前に、神様は恵みによって彼を召されました。その恵みによって、神様は喜んでパウロにイエス・キリストのことを示されました。さらに、神様はパウロを召し、彼がその恵みの福音を異邦人に伝えるようにされました。(ガラテヤ 1:11-16)

このように、人々がパウロを救った福音を攻撃したとき、パウロは戦いました。

私たちも同じようにすべきです。

福音によって、私たちは命を受けました。私たちが生まれる前に、神様はご自身の目的のために私たちを選び、召されました。神様は私たちの善さゆえに召されたのではありません。神様は私たちの資格ゆえに召されたのでもありません。むしろ、恵みによって、神様は私たちを召されました。

だからこそ、神様は私たちが周りの人々にその福音を伝えるように召されています。そして、福音が攻撃されるとき、私たちはその福音を擁護しなければなりません。

あなたは福音に対して、どれほどの情熱を持っているでしょうか。

あなたはどれほど素晴らしい賜物を与えられたかを理解しているでしょうか。あなたに注がれた恵みを理解しているでしょうか。

その恵みを理解するなら、福音のために戦いましょう。その福音を擁護しましょう。

とはいえ、福音を攻撃する人々は私たちの敵ではないことを忘れないでください。むしろ、彼らもまた、私たちを救った福音を知る必要があることを覚えておきましょう。