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ルカの福音書 ルカ19章

ミナのたとえ話:私たちが待っているうちに

ルカによれば、イエス様がこのたとえ話を教えられた理由は、「イエス様がエルサレムの近くに来ていて、人々が神の国がすぐに現れると思っていたから」です(ルカの福音書19:11)。

つまり、イエス様は彼らの間違った考えを正すと同時に、正しい考えを彼らの心に植え付けたいと思われたのです。それで、イエス様はこう言われました。

ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。

彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、「私が帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言った。(12-13)

イエス様は、どのような間違った考えを覆したいと思われたのでしょうか。それは、神の国がすぐに来るという考えです。

王としての地位につく前に、イエス様は罪の問題を解決するために十字架で死ななければなりませんでした。

イエス様は死なれ、復活された後、天に帰って天の父の右に座られました。そして、聖書によれば、現在イエス様は「敵がご自分の足台とされるのを待っておられます」(へブル人への手紙10:13)。

ですから、私たちはいまだにイエス様の帰りを待っています。

では、イエス様が帰られるまで、私たちは何をすべきでしょうか。私たちはイエス様に忠実に仕えるべきです。

イエス様は弟子たちの心にその考えを植え付けたいと思われました。神の国のために、まだたくさんの仕事をしなければなりません。

このたとえ話では、王は十人のしもべに同じ金額を与えました。そして、王は彼らに、「私が帰って来るまで、これで商売をしなさい」と命じられました。

そのお金は何を象徴しているのでしょうか。おそらく、それは私たちの救いです。しもべたちはそのお金を得るために働いたのではありません。王はそのお金を彼らに預け、彼らはそれを投資しなければなりませんでした。

同じように、私たちは働いて救いを得たのではありません。神様の恵みによって救いが与えられました。しかし、私たちはその救いを用いて、神様の国のために働かなければなりません。

パウロは次のように言いました。

恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。【ピリピ2:12-13)

私たちが与えられた救いを投資するとは、どういう意味なのでしょうか。それは、私たちが受けた救いを用いて、周りの人々に投資することを意味します。

私たちは自分の救いを喜ぶだけではなく、その救いを周りの人々と分かち合う心が必要です。彼らのために祈り、彼らに仕えましょう。

そして、私たちは彼らに対して、イエス様の目、口、耳、手となるべきです。イエス様が帰られるまで、私たちはそうし続けなければなりません。

そのように行動するなら、私たちは報いを受けるでしょう。どんな報いでしょうか。それは、神様の国のためにさらに大きな責任が与えられることです。

多くのクリスチャンは神様のために素晴らしいことをしたいと思っています。しかし、もし彼らが受けた救いを周りの人々と分かち合わないのであれば、神様がさらに大きな責任を彼らに委ねられるでしょうか。

さらに、最後のしもべのように、神様の国のために投資をしないのであれば、イエス様が帰られるとき、その人々は叱責されることになるでしょう。

パウロはそのような人々について次のように語っています。

その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。(第一コリント3:15)

あなたはどうでしょうか。あなたが受けた救いで、何をしているのでしょうか。

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箴言

経済的に安定する

私が経済のことについて話すのが特別な資格がないので、経済のことについて話すのはちょっと気まずいです。けれども、ソロモンは経済について話すので、彼が何を言ったか読みましょう。

箴言では、お金についてのアドバイスがたくさんあります。この箇所では、二つの助言があります。

一つ目は、誰かの保証人にならない方がいいということです。特にローンのために保証人にならない方がいいです。

日本では、そのアドバイスはちょっと厳しいです。私たちがアパートを借りるとき、普通、不動産屋は保証人を要求します。また、日本のビザを得るために私は保証人が必要でした。

だから、この箇所によると、私たちは決して保証人にならないべきでしょうか。そうではないと思います。

とはいえ、もしあなたが保証した人が困窮するようになり、代わりにあなたが支払いを求められるとしたら、その金額を支払うことができるでしょうか。あるいは、その支払いによって、あなたの経済状況が本当に厳しくなることはないでしょうか。

もしあなたの生活に支障がないのであれば、その人の保証人になってもよいでしょう。

けれども、もしあなたがその金額を支払えないのであれば、こう伝えるべきです。

「すみません。私はあなたのことが好きですし、あなたを信頼しています。でも、私たちの未来はまだ見えていません。

もし、あなたの状況が悪化して、私が代わりに支払わなければならなくなったら、私自身の経済も立ち行かなくなってしまいます。」

投資について考えるときにも、同じ原則が当てはまると思います。私も投資をしていますが、たとえそのお金が失われたとしても、私の家族が困ることはありません。(もちろん、それはとても痛いことですが。)

つまり、投資をするときには注意が必要です。もし投資したお金が失われた場合に家計が苦しくなるようであれば、そのお金は投資すべきではありません。

次のソロモンの助言は、一見するとただの常識のように思えるかもしれません。それでも、多くの人々はその常識に従っていません。その助言とは、できるだけ長く働き、将来のために貯蓄することです。

日本には「フリーター」と呼ばれる人々がいます。彼らには安定した仕事がありません。中には、教育の機会に恵まれず安定した職に就けない人もいれば、そもそも働く意欲があまりない人もいます。

私が読んだある記事によれば、少しだけ働いて貯金し、その後仕事を辞めて、お金が尽きるまで遊ぶ人々がいるそうです。そして、お金がなくなると、再び仕事を探します。彼らはその生活パターンを繰り返し続けているのです。

しかし、ソロモンは彼らに関して、こう言います。

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。

なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。

しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。(6-11)

要するに、そのような生活を続けていると、貧しさに陥ってしまいます。その生き方は近視眼的であり、先を見据えた知恵が欠けています。

さらに、そのような生活は神様にまったく栄光をお返ししません。なぜなら、神様から授かった才能を無駄にしているからです。そして、いつか神様の御前で、自分の歩みについて申し開きをしなければならなくなるでしょう。

だから今日、ソロモンから二つの助言を受け取ることができます。

  • 第一に、もしあなたに十分な資金がないなら、他の人の保証人になることは避けましょう。また、投資をする際には、どれほどの金額を投資するか慎重に判断してください。
  • できるだけ長く働き、将来のために貯蓄することを心がけましょう。