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ルカの福音書 ルカ14章

イエス様を拒絶すると

この直前の箇所では、義人の復活の際に、神様が気前の良い人々に報いを与えることをイエス様が教えられました。

それを聞いた食卓の客の一人はこう言いました。

神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。(ルカの福音書14:15)

ユダヤ人たちは、メシアが来て自分たちの国を確立する際、大宴会を開くと信じていました。そのため、その人がその言葉を口にした後、おそらく食卓の皆は「アーメン」と言ったことでしょう。彼らは、メシアの宴会にきっと招かれると思っていたからです。

皮肉なことに、その時、彼らはメシアであるイエス様と共に食事をしていました。それにもかかわらず、彼らはイエス様をメシアとして認識せず、さらに拒絶しました。最終的には、彼らはイエス様を十字架につけてしまったのです。

だからこそ、神の国が来る時、彼らはその中に入ることができません。一方で、彼らが見下した人々、つまり貧しい者、身体の不自由な者、盲人、足の不自由な者たちが天国に入ります。

さらに、パリサイ人たちが救いに値しないと判断した罪人や異邦人も神の国に入ります。ところが、パリサイ人たち自身は拒絶されるのです。

多くの人々は天国に行きたいと願いますが、パリサイ人たちのようにイエス様を拒絶します。彼らは自分なりの道徳的なルールを作り、それに従おうとしますが、そのルールに従わない人々を批判します。

けれども、パリサイ人たちと同様に、彼らが天国の門に到達しても、その中に入ることはできません。そして、彼らが軽蔑した人々は天国に歓迎されるのです。

あなたはどうでしょうか。イエス様を拒絶しながら、天国に入れると思いますか。

イエス様こそ天国への唯一の門です。イエス様とその十字架の御業を信じる者だけが天国に入ることができます。ですから、自分の誇りを捨て、イエス様のもとに来てください。

イエス様はこう言われました。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)


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マタイの福音書 マタイ13章 マルコの福音書 マルコ6章

私たちが愛している者が私たちのあかしを拒絶するとき

私は以前にも述べましたが、聖書にはイエス様が2回驚かれた場面が記録されています。1回目は、百人隊長の信仰を見て驚かれた時です。(マタイ5:8-13)

2回目の出来事が、この話です。イエス様はすでにイスラエル中で有名な方となっていました。福音書によれば、その時イエス様は2度地元に戻られました。(おそらく他にも戻られたことがあったかもしれませんが、聖書には書かれていません。)

いずれにせよ、地元に戻られると、人々はイエス様の奇跡や知恵を認めながらも、イエス様を預言者やメシアとして受け入れることを拒みました。

なぜでしょうか。おそらく、彼らはずっとイエス様をただの大工として見ていたからです。それ以前、イエス様は何度も彼らのために食卓やいろいろなものを作ってくださいました。

その時、彼らは「イエス様は素晴らしい預言者だ」とは思わなかったのです。彼らにとって、イエス様はただの大工に過ぎなかったのです。

おそらく、そのおじいさんたちやおばあさんたちにとって、イエス様は昔その近所で遊んでいた子供としての印象が強かったのでしょう。その頃、イエス様は近所の子供たちと一緒に遊び、その家を訪ねて食事を共にすることもあったのです。

そのため、彼らにはイエス様に教えられることを受け入れるのが難しかったのだと思います。「この人が私に教えるなんて」と思ったかもしれません。だからこそ、イエス様が教えた時、彼らはむっとしたのでしょう。

それゆえ、イエス様は彼らにこう言われました。

預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。(マルコ6:4)

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

1.神様は意外な人を通して話されることがあります。もし私たちが彼らを見下してしまうなら、神様の声を見逃してしまうかもしれません。

時には、彼らは若く、未経験者であることがあります。あるいは、あまり教養がない人かもしれません。そのため、私たちは彼らを見下してしまうのです。

けれども、根本的には、私たちは神様が彼らを少し軽んじておられると思い込むため、私たち自身も彼らを軽んじてしまいます。結果として、私たちは彼らの言葉を受け入れなくなるのです。

それでも神様は、若い人、年を取った人、教育を受けた人、教育を受けていない人を問わず、用いて私たちに語ってくださるのです。

神様はあなたが尊敬する牧師を用いることもできるし、あなたをイライラさせる妹や弟を用いることもできるのです。もし彼らが自分の人生を神様にささげ、聖霊様が彼らの中に住んでおられるなら、神様は彼らを通して私たちに語ることができるのです。

とはいえ、私たちは謙虚な心を持っているでしょうか。彼らの外見だけではなく、彼らの内におられる聖霊様を見ることができるでしょうか。

2.時には、以上の理由により、周りの人々があなたのあかしを拒絶することがあるかもしれません。イエス様も同じ経験をされたことがあります。不完全な私たちが拒絶されるなら、それは驚くべきことではないでしょう。

私たちには相手の反応をコントロールすることはできませんし、彼らに無理やり信じさせることもできません。

あなたの責任は、神様があなたに何を与えてくださったか、そして神様が何をしてくださったかを伝えることです。そして、もし彼らがあなたのあかしを拒絶するなら、彼らのために祈るべきです。

人々の心を変えることができる方はただ一人。それは神様です。

だから、拒絶されても、がっかりしないでください。謙虚な態度を持ち続けましょう。そして、ほかの人と話すときに、神様が語っておられるかどうか注意深く見ましょう。そうすれば、あなたの予想以上に神様の声を聞くことができるでしょう。