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テモテへの手紙第ー

牧師の評価基準とは

牧師や教会の長老たちに対する評価の基準は、非常に高く定められています。なぜなら、彼らは教会の人々の前にあってキリストを代表し、さらにこの世においてもキリストを代表しているからです。

あなたは、牧師がその基準に達しない姿を目の当たりにしたことがあるかもしれません。そのとき、教会はスキャンダルによって揺さぶられ、信徒たちは傷つき、教会の評判は世間で著しく損なわれてしまいます。

だからこそ、二人または三人の証人がいる場合には、パウロはテモテに対して、牧師や長老たちに対する訴えを無視してはならないと教えました。むしろ、その人物を教会全体の前で責めなければならないと語ったのです。

なぜ、そのようにすべきなのでしょうか。

第一の理由は、長老たちと一般の信徒たちとの間で、二重基準を設けてはならないということです。

第二の理由は、地位にかかわらず、教会が罪を真剣に受け止め、どんな罪も必ず正しく取り扱う共同体であることを、すべての人に明らかにするという目的があります。

第三の理由は、同じ罪へと誘惑されている人々への警告と戒めとなるためです。

もちろん、私たちはこのような問題に正しく向き合わなければなりません。しかし、それ以上に重要なのは、そうした問題が起こる前に防ぐことです。

だから、リーダーを選ぶときには、その人物が高潔であるかどうかを慎重に見極めなければなりません。そうすれば、イエス様の御名も、教会の評判も、傷つけられることはないでしょう。

そのような背景を踏まえて、パウロはテモテにこう命じたのです。

だれにも性急に按手をしてはいけません。また、ほかの人の罪に加担してはいけません。自分を清く保ちなさい。(テモテへの手紙第一5:22)

パウロやテモテが牧師や長老を選ぶときには、その人に按手をし、ともに祈り、奉仕のために神様に捧げていました。

つまり、パウロが語っているのは、私たちは牧師や長老を性急に任命すべきではないということです。なぜなら、十分に慎重な選考を怠れば、その人が罪を犯したときに、選んだ側も責任を問われることになるからです。

だからこそ、リーダーを選ぶ前には、その人物の歩みをよく見極めるべきなのです。これについて、パウロは次のように語りました。

ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、ほかの人たちの罪は後で明らかになります。

同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。(24-25)

要するに、ある人の罪は初めから明らかで、その人がリーダーとしてふさわしくないことがすぐに分かることがあります。けれども、別の人の罪はすぐには表に出ず、時間をかけて接するうちに明らかになっていきます。

その一方で、一目見た印象では、ある人がリーダーにふさわしくないと思えるかもしれません。けれども、その人と時間を過ごすことで、実際にはふさわしい人物であることが分かる場合もあるのです。

だから、牧師や長老を任命する前に、その候補者の生き方をよく観察する必要があります。そうしなければ、後々大きな問題が起こるかもしれません。

確かに、パウロはここで牧師や長老たちのことを語っていますが、この原則はあらゆる教会リーダーに適用できると思います。

スモールグループのリーダーや日曜学校の教師を選ぶときも、その人物の人生をよく見極めるべきです。なぜなら、教会を代表するリーダーや教師は、高い基準に照らして評価されるべきだからです。

ですから、私たちは人を任命するとき、慎重でなければなりません。

そして、もしあなたが教会のリーダーや教師なら、自分の生活の中でイエス様を正しく代表しているかを省みるべきです。

あなたは、そうできているでしょうか。