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ガラテヤ人への手紙

私たちを支えてくれる人を支える

牧師の働きは非常に大変です。もし神様からの召しがなければ、私も牧師になろうとは思わないでしょう。

牧師は、日曜日のメッセージを準備するだけでなく、教会のメンバーの問題にも対応しなければなりません。その責任を担うとき、彼らはメンバーの不平にも耳を傾けなければなりません。

すべてのメンバーが教会や牧師に満足する教会は、おそらくどこにもないでしょう。

私たちの牧師たちも、自分自身の負担を抱えています。もちろん、イエス様は彼らに教会を導く使命を与えられました。

けれども、それだけではなく、彼らには家族を支える責任もあります。そのため、人の不平や批判を聞くと、その負担が急に重くなり、時には耐えきれなくなることもあるでしょう。

パウロは、この現実をよく理解していたと思います。だから、彼は「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになるのです。」と言った後、こう語りました。

みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合いなさい。(ガラテヤ人への手紙6:6)

要するに、牧師は私たちに霊的な栄養を与え、霊的に支えてくれます。けれども、彼ら自身も支えられる必要があります。だからこそ、私たちはできる限り彼らを支えるべきです。

もちろん、彼らが家族を十分に支えることができるように、私たちは牧師を経済的に支える必要があります。そうすれば、彼らは神様から委ねられた働きに専念できるでしょう。しかし、それだけではなく、彼らには私たちの祈りと励ましの言葉が必要です。

私たちは牧師を「超クリスチャン」と見なしてしまいがちです。そのため、彼らもただの人間であり、私たちの支えを必要としていることを忘れてしまいます。私も時に忘れてしまうことがあります。

だから、意図的に彼らを支えましょう。彼らのために祈っていることを伝えましょう。メールや電話で励ましの言葉を届けましょう。言い換えると、牧師にとっての祝福となりましょう。

あなたはどうでしょうか。あなたは牧師にとって祝福となっていますか。

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箴言

真の友だち

一生を通じて、私は親友ができて、本当に良かったと思います。良い時でも、悪い時でも、彼らは私を応援し、支えてくれました。

数年前、親友の大切さを改めて感じました。その時、私はスモールグループに参加し、5人の友だちと一ヶ月に二回ほど集まり、自分の人生について話し、聖書を読み、祈り合いました。

その時、私たちの人生は非常に大変でした。私が勤めていた会社が倒産し、私は失業中でした。他の人には、彼女とのトラブルがあったり、婚約者と別れたり、奥さんががんにかかったりしました。

そのため、私たちは皆、友人を必要としていました。そして、その友人関係と神様の助けのおかげで、私たちはその問題を乗り越えました。

ソロモンは、そんな友だちについて書きました。

友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言17:17)

また、

滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。(箴言18:24)

私が高校生の時に、父はこう言いました。「お前は内気なのはよく知ってるけれど、親友が必要だよ。親友はたくさんいなくてもいいけれど、少なくとも一人は持っていた方がいい。」

その時期、私には友だちがいたけれど、親友がいなかった。私は本当に心を誰にもシェアできなかった。だから、父の言葉は私の心を打ちました。

そして、神様の恵みによって、親友ができました。特に、高校生時代、また、大学生の時代、その親友関係が私の人生を形作りました。

おそらく、私たちは自分自身に二つの質問を問うべきです。私たちにはそんな関係があるでしょうか。

そして、私たちはどのような友達でしょうか。私たちの友だちが困る時、彼らを助けるでしょうか。

それとも、私たちはすぐに逃げるでしょうか。19章では、ソロモンはそんな「友だち」についてこう書きます。

財産は多くの友を増し加え、寄るべのない者は、その友からも引き離される。(箴言19:4)

また、

貧しい者は自分の兄弟たちみなから憎まれる。彼の友人が彼から遠ざかるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。(箴言19:7)

あなたはどうですか。あなたの友だちが苦しんでいるときに、あなたは消えてしまうでしょうか。それとも、彼らを支えて、励ましてあげるでしょうか。

もちろん、彼らが経済的な問題を抱えている場合、私たちは常にお金をあげるわけではありません。しかし、私たちはできる限り、彼らが自分の問題を乗り越えるために助けてあげるべきです。

あなたは本当の友だちでしょうか。