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伝道者の書のデボーション

私たちは誰を信頼すべきか

ある州で、貧しい者が虐げられ、権利と正義が踏みにじられているのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもう一人の上役がいて、彼らよりももっと身分が高い者たちもいるからだ。

国にとっての何にもまさる利益は、農地が耕されるようにする王がいることである。(伝道者の書5:8ー9)

あなたはどう感じるか分からないけど、私は政治家たちや官僚たちや裁判官たちをあまり信じていません。

ちょっと可笑しいけど、ソロモンが王だったのに、彼もその人たちをあまり信じていなかったらしいです。

もちろん、政治家や官僚や裁判官の皆が悪いわけではありません。

ソロモン自身は政府の利点をよく分かっていました。良い政府があれば、国は栄えることができます。(9)

その反面、説明責任のために政治制度や官僚制があるけれど、堕落が入り込んでしまいます。その結果は?政府や社会に、私たちは不正をよく目にします。

私たちが罪によって壊れた世界にいるので、それは当然のことです。

だから、私たちクリスチャンは、政府に希望を寄せるべきではありません。もちろん、神様が政府を良いものとして立ててくださり、政府は必要なものです。それでも、私たちの政府は不完全な道具です。

それでは、私たちは誰に信頼を寄せるべきでしょうか。私は、チャールズ・コルソンというクリスチャンの言葉が大好きです。

希望はどこにあるでしょうか。私は、社会の腐敗によって落ち込んでいる人に何度も会ったことがあります。

私たちが持っている希望は、政治家にあるわけではありません。

私たちの希望は、新しい法律を制定することではありません。

私たちの希望は、この国の実績から生まれるものではありません。

私たちが持っている希望は、人々の心に働いている神様の力です。

それがこの国の希望です。それが私たちの人生の希望です。

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詩篇のデボーション

私たちの望みを託す王 

たぶん、私たち皆は良いリーダーたちを望みます。

正義をもたらすリーダーたちを望みます。

弱い人を助けるリーダーたちを望みます。

正しい者たちが栄える社会をもたらすリーダーたちを望みます。

詩篇72篇で、ソロモンは、自分がそのようなリーダーになるように祈りました。

ある点では、彼は良いリーダーでしたが、他の点では悪いリーダーでした。(列王記第一11:4〜8、12:4)

最終的に、ソロモンの祈りは、自分や他の王やリーダーによっては成就しませんでした。

イエス様だけによって、その祈りは成就します。ある日、イエス様はこの世に戻り、ご自身の国を確立されます。

その時、イエス様は「海から海に至るまで、川から地の果てに至るまで統べ治めます。」(詩篇72:8)

人々はイエス様によって祝福され、すべての国々はイエス様をほめたたえます。そして、神様の栄光が全地に満ちあふれます。(詩篇72:17、19)

だからニュースを読んだり聞いたりして、政治家たちの行為によってフラストレーションを感じるとき、彼らのために祈りましょう。

でも、覚えておきましょう。私たちは自分の望みを彼らに託しません。

むしろ、私たちは奇しいみわざを行われる方に望みを託します。(18節)

イエス様は「私はすぐに来る」と約束されました。(黙示録22:20)

だから、毎日、希望をもってイエス様を仰ぎ、祈りましょう。「アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示録22:20b)

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イザヤ書

解決方法を知らない

選挙の時に、多くの政治家はたくさんの約束をします。彼らは社会の問題について話し、「私に投票すれば、すべては変わる」と約束します。

しかし、多くの場合、何も変わりません。

もし、ある政治家が「私は解決方法を全然知りません。私に投票しないでください。他の政治家にも投票しないでください。なぜなら、誰も解決方法を知らないからです。」と言ったら、人々はどう反応するでしょうか。

多分、人々はその人に投票しないでしょう。一方では、彼が他の政治家よりも正直だと思います。けれども、自分の無能を認める人に投票するのは難しいものです。

さて、神様はユダとイスラエルにそのような状況を起こされました。列王記では、イスラエルが国としてどれほど速く崩れたかを、後で私たちは見ることになります。一方、この箇所では、神様はユダに語っておられます。

ユダ人が神様に背を向けたので、神様は彼らに警告されました。

「私はあなたの食糧と給水を取り除きます。それだけではなく、あなたのリーダーたちと助言者たちを取り除きます。その人々の代わりに私は解決法をよく知らない若者をあなたに与えます。」

そのとき、人が父の家で、自分の兄弟をとらえて言う。「あなたは着る物を持っている。私たちの首領になってくれ。この乱れた世を、あなたの手で治めてくれ。」

その日、彼は声を張り上げて言う。「私は医者にはなれない。私の家にはパンもなく、着る物もない。私を民の首領にはしてくれるな。」(イザヤ書3:6-7)

つまり、ユダ人は必死で、だれかが他の人々よりもちょっとお金があったら、その人をリーダーにしようとします。

しかし、その人はこう答えます。「私は解決法をよく知りません。私はうまく家族を世話することができません。なのに、どうして私はこの国をリードできるでしょうか。」

この社会の問題の解決法を見つけるために、私たちはどこを捜しているでしょうか。政治家を求めるでしょうか。

彼らは解決法を知りません。歴史を見れば、それが分かります。なぜなら、多くの政治家は神様とその道をよく知らないからです。

イスラエル人はそのような人々でした。彼らが神様から逃げたので、すぐに彼らの希望はなくなりました。そして、彼らが神様から離れたので、だれも彼らの問題の解決法を知りませんでした。

もし、社会の問題の解決法を見つけたいなら、希望を与えてくださる神様を求めなくてはなりません。神様とその道に従わなくてはなりません。

そうしないと解決法を見つけられません。なぜなら、神様から離れたら解決法がないからです。

有名なクリスチャン、チャールズ・コルソンはこう言いました。

希望はどこにあるのでしょうか。私は、社会の腐敗に心を痛め、落ち込んでいる人々に何度も出会ってきました。

私たちの希望は、政治家にあるのではありません。新しい法律から得られるものでもありません。この国の実績に根ざすものでもありません。

私たちの希望は、人々の心の中に働いておられる神様の力です。 それこそが、この国の希望であり、私たちの人生の希望でもあります。

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ホセア書

神様を私たちの王として拒絶すると

アメリカでは、4年ごとに人々は新しい大統領のために投票します。次は来年です。

皆はアメリカを繁栄に導く人物を選ぼうとします。そして、新しい大統領がその職務を始めると、人々に希望が湧きます。けれども、国の繁栄の鍵は、大統領や政治家ではありません。

この箇所では、ホセアはイスラエル人にそのことを教えました。

ホセアは、神様がイスラエル人の罪のために罰を与えると警告しました。

ヤロブアムがイスラエルの王で、すべてが順調に見えたとしても、その繁栄は永遠に続かないと警告しました。なぜなら、ヤロブアムは悪い王であり、イスラエル人は様々な罪を犯していたからです。

そして、ホセアは、神様がヤロブアムとその子孫から王座を取り上げると預言しました。そうなった時、イスラエル人はこう言うでしょう。

私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう. (ホセア書10:3)

つまり、イスラエルの状態が酷くなるので、彼らはそのリーダーたちをもう信じなくなります。

なぜでしょうか。それは、人々が神様のために生きず、自分自身のために生きると、そのような国には希望がないからです。人々が神様を自分の王として認めない限り、希望はありません。

私たちの文化についても、ホセアの言葉が当てはまると思います。

多くの人々は政治体制をもう信じていません。新しい総理大臣が就任しても、多くの日本人はその人を信じようとしません。なぜなら、何も変わらないと思うからです。

多くの場合、彼らは正しいです。何も変わりません。

また、ホセアはイスラエル人についてこう言いました。「皆は堕落しました。契約を結んでも守りません。だから、訴訟がたくさんあります。」(4)

それはまるでアメリカのようです。

そして、ホセアはこう言いました。「あなたたちが建てた神が倒れると、あなたたちは悲しみます。」

今でも、経済危機の際にそのような反応が見られます。

多くの人々はお金を自分の神としますが、結局すべてを失ってしまいます。だから、彼らは苦しみ、「どうしよう」と思うのです。

その時、彼らは山々に向かって、「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって、「私たちの上に落ちかかれ」と言います。(8)

この箇所を聞いたことがありますか。

イエス様が十字架に向かう際、女性たちにこの箇所を引用しました。イスラエル人がイエス様を王として拒絶したため、40年後にエルサレムは崩壊したのです。

だからこそ、ホセアはイスラエル人を戒めました。

あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。

今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。(12)

神様は私たちに同じことを語っておられます。今こそ主を求める時です。政治家を通して救いを見つけることはできません。この世の神々を通しても救いを見つけることはできません。ただ神様だけによって救いが来るのです。

だから、私たちの堅くなった心を耕しましょう。神様からの種を受け入れましょう。正義の種を撒けば、誠実の実を刈り入れることができます。そして、本当の喜びと繁栄を知るようになるでしょう。