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詩篇

私たちが敗れる時

詩篇60篇はちょっと不思議です。なぜなら、そのタイトルを見ると、この詩篇は勝利の時に書かれたもののように思えます。けれども、この詩篇によれば、イスラエル人は戦いに敗れたらしいです。

だから、彼らは叫びます。

神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました。

あなたは地をゆるがせ、それを引き裂かれました。その裂け目を、いやしてください。地がぐらついているのです。(詩篇60:1-2)

どうしてイスラエル人は敗れたのでしょうか。私たちにはわかりません。聖書ではその理由が書かれていないからです。列王記にも歴代誌にも、その敗北に関しては何も書かれていません。

言えることは、霊的な力と戦うとき、時々私たちは敗れるということです。しかしその時、二つのことを思い出しましょう。

一つ目は、神様が私たちを見捨てておられないということです。時々、私たちはそう感じるかもしれませんが、神様は私たちを拒絶しておられません。

二つ目は、時々私たちは戦いに負けることがありますが、結局私たちは戦闘に勝つということです。

神様はイスラエル人の叫びを聞いて、こう答えられました。

「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、スコテの谷を配分しよう。

ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの杖。

モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。ペリシテよ。わたしのゆえに大声で叫べ。」(6-8)

つまり、「勝利は私の手にあります。私はあなたを私のものとして選んだので、あなたの敵をあなたの手に渡します。」ということです。

だから、イスラエル人は拒絶されたと感じたのに、彼らはもう一度神様に叫びました。

どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。

神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。(11-12)

そして、信仰によって、彼らは自分の力ではなく、神様の力によって出て戦いました。その時、神様は彼らに勝利を与えてくださいました。

最近、あなたは何かに敗れたでしょうか。失望しないでください。立ち上がりましょう。自分の力ではなく、神様の力によって立ち上がりましょう。神様の助けを願いましょう。そうすれば、勝利を得ます。