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マタイの福音書 マタイ7章

山上の説教:教えを見分けている?

イエス様は、救いに至る狭い門に入りなさいと言われた後、私たちに次のように警告されています。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。(15)

多くの人々は、「預言者」という言葉を聞くと、「将来のことを預言する人」を思い浮かべるかもしれません。けれども、本当の預言者には他の役割もありました。

彼らは神様からの言葉を人々に宣言する務めを果たしていました。旧約聖書では、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、そしてダニエルがそのようにしていました。

ところが、旧約聖書を読むと、イエス様が言われたような偽預言者を見ることができます。

彼らは外見が良く、話し方も上手で、霊的な人物のように見えました。けれども、実際には、彼らの言葉は地獄から来たものでした。そして彼らは、周囲の人々を滅びに至る門へと導いていました。

残念なことですが、現代でもそのような人々がいます。彼らは「主はこう仰せられる。」と言いますが、実際には神様の言葉をゆがめています。

では、私たちはどうやって真の預言者と偽預言者を見分けることができるでしょうか。イエス様は、次のように言われました。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。(マタイの福音書7:17-20)

要するに、私たちは彼らが結んだ実を見る必要があります。

それはどういう実でしょうか。

1. 彼らの人生 つまり、彼らは自分が伝えていることに従っているでしょうか。それとも、彼らは偽善者でしょうか。

もちろん、彼らは神様のみ言葉に完全に従うことはできません。それでも、彼らの信仰は成長を続けているでしょうか。彼らは少しずつイエス様のようになっているでしょうか。また、彼らは自分の罪との戦いについて正直に話しているでしょうか。

2. 彼らの教え。 彼らの口からどんな言葉が出ているでしょうか。その言葉は聖書に基づいているでしょうか。それとも、聖書と一致していないでしょうか。

説教者として、彼らには聖書を正確に教える責任があります。パウロは次のように言っています。

あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。(第一テモテ2:15)

それは、説教者の責任です。

しかし、聞き手として、私たちにも説教者の言葉を見分ける責任があります。使徒の働きでは、ベレヤ人たちがそれを実践しました。

彼らはただパウロの言葉を聞いて受け入れるだけではありませんでした。彼らは家に帰るとすぐに、パウロの言葉を聖書と照らし合わせました。そして、パウロの言葉が聖書に一致していることを確認し、信じて受け入れました。(使徒の働き17:11-12)

私たちはベレヤ人の模範に従うべきです。牧師や説教者の言葉を見分ける必要があります。

もし彼らの教えが聖書に一致しているのであれば、その言葉を信じて従うべきです。けれども、彼らの教えが聖書と一致していない場合、その教えを捨てるべきです。

多くの牧師や伝道師は「イエス様は主」と告白します。裁きの日には、ある人がイエス様の前に進み、次のように言うでしょう。

主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。(22)

ところが、イエス様は彼らにこう言われます。

わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。(23)

残念なことですが、彼らに従う人たちも地獄に行きます。なぜでしょうか。それは、彼らがその先生たちの教えを見分けなかったからです。

では、あなたはどうでしょうか。教会で聞いたことを見分けていますか。また、クリスチャンの本に書かれている教えも見分けていますか。それとも、見分けずにその教えを信じていますか。