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エペソ人への手紙

教会の一致を守る

1〜3章で、パウロは「キリストにあって私たちは一つとされた」という真理を語っています。

モーセが受けたシナイ契約によって、ユダヤ人たちは異邦人たちと隔てられていましたが、イエス様の十字架によってその隔ての壁は打ち壊されました。こうして今、ユダヤ人も異邦人も、ただ一人のかしらであるキリストのもとに結び合わされているのです。

そしてその驚くべき一致の真理を語り終えたあと、パウロはこう言いました

さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。(エペソ人への手紙4:1)

言い換えるなら、「神様に召された教会として、その召しにふさわしく歩みなさい」ということです。

では、その召しとは何でしょうか。それは、キリストにあって一つの体となることです。そして、その体を通して、神様はご自身の知恵と栄光をこの世に現したいと願っておられます。

この手紙の残りの部分で、パウロは、私たちがどのように「キリストのからだ」として生きるべきかを教えています。つまり、キリストのからだとして、どのようにして神様の栄光と知恵を現していけるのでしょうか。

パウロは、こう語ります。

謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。(2-3)

「謙遜の限りを尽くしなさい。」

私にとって、これは決して簡単なことではありません。子どもの頃からクリスチャンとして育ち、さまざまなことを学んできた私にとって、プライドを抱くのは容易なことです。

でも実のところ、私はいまなお学びの途上にあり、失敗もすれば、罪を犯すこともある者です。だからこそ、周りの人々に接するとき、私は自分の弱さを心に留めていなければなりません。

他の人の失敗や罪を目にするとき、私は謙遜をもって、柔和な心をもって接するべきです。

さらに、神様が私に寛容を示してくださったように、私も他の人々に寛容を示すべきです。だからこそ、私は人々を軽蔑せず、彼らの失敗や弱さ、罪に対しても、憐れみの心で応じる者でありたいのです。

そしてパウロはこう語ります。「御霊による一致を、平和のきずなで熱心に保ちなさい。」

私たちは一つです。神様は私たちを一つの教会とされました。しかし、この一致を守るには、意識的な努力が求められます。私たちの罪深い性質のゆえに、この一致は簡単に壊れてしまうおそれがあるからです。

だからこそ、私たちは平和のきずなを大切にし、積極的にその一致を守り続けていかなければなりません。

私たちは、御霊による一致を熱心に保っているでしょうか。あるいは、兄弟姉妹の罪や過ちを見て、すぐに心の中で彼らを引き離してしまってはいないでしょうか。

このような問いかけの中で、パウロは私たちにもう一度思い起こさせてくれます。

あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。

主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。(4-6)

簡単に言えば、私たちは一つのからだです。同じ御霊が私たちのうちに住んでおられます。

イエス様にあって、私たちは同じ希望を持っています。私たちは同じ救い主に属し、同じ信仰を持ち、皆がイエス様の御名によってバプテスマを受けました。

私たちは同じ父に属しています。その父なる神は、すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父です。

それが真実なら、なぜ私たちは互いに引き裂き合おうとしているのでしょうか。

サタンは分裂した教会を見ると喜びます。分裂した教会には、神様の知恵と栄光をこの世に現す力がありません。

だからこそ、その分裂的な霊を捨て去りましょう。

神様は私たちを一つとされました。その一致を、熱心に保ち続けましょう。