数年前、私は60代の生徒たちと新聞の記事について話しました。研究者によれば、60~65歳は現代の中年層に分類されるようになってきました。なぜなら、人間の平均寿命が延びているからです。
私は、彼らが何歳まで生き続けたいと思うか尋ねました。彼らは75~80歳までと答えました。その意見は理解できます。その年齢になると、私たちの健康は著しく衰え始めます。それを特に経験したくないと思うのは自然なことです。
それよりも、私は神様が与えてくださる新しい体を持ちたいと思います。この箇所で、パウロはその体について語ります。
あるコリントのクリスチャンたちはパウロに尋ねました。「私たちは復活すると、どんな体を持つのでしょうか。」
パウロは、私たちの現在の体を蒔かれた種に例えます。その蒔かれた種は、成長した木とはまったく異なります。
同様に、埋葬された私たちの肉体は、新しい体とはまったく違います。それでは、その新しい体はどのように違うのでしょうか。
パウロはそのことを説明します。
死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(コリント人への手紙第一15:42-44)
私たちの現在の体は年を重ね、やがて死にます。一方で、私たちの新しい体は決して死ぬことはありません。
私たちが死んだ後、肉体は埋葬され、腐敗します。それでも、新しい体は栄光に満ちたものとしてよみがえらされます。
私たちの今の体は病にかかり、やがて衰えていきますが、新しい体は健やかで、決して病むことも弱ることもありません。
私は父のことを思い出します。彼は8年前に亡くなりました。
事故の影響で失明し、最後の数か月はほとんど歩くことができませんでした。彼は糖尿病を患い、心臓も弱っていました。最後の数日間、彼は話すこともできず、ただベッドに横たわるしかありませんでした。
父の状態を見るのは本当に辛いものでした。しかし今、彼はその弱い体から解放されました。そして、イエス様がこの世に戻られるとき、最後のラッパの響きのうちに、父は新しい体を得て、空中でイエス様と会うのです。
その日、私も新しい体を得て、イエス様と父に会います。そのとき、この世界のすべては新しくなり、人々は喜びの歌を歌うでしょう。
死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。(55)
その日が待ち遠しいです。
