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ヨハネの福音書 ヨハネ3章

どのように新しく生まれることができるのか

ヨハネ3章の前半では、イエス様はニコデモに、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われました(3節)。

つまり、私たちがこの世に生まれるように、私たちは神様の国に生まれなくてはなりません。どんなに良い行動をしても、それによって天国に入ることはできません。

人がこの世に生まれるのは、主に母の働きによるものです。人が神様の国に生まれるのは、御霊の働きによるものです。

ニコデモは旧約聖書をよく知っていたにもかかわらず、この概念を理解することができませんでした。彼は天国に入るために、懸命に神様の律法に従おうとしていました。けれども、イエス様は「その考え方は間違っている」と言われました。

そのため、ニコデモは質問しました。

どうして、そのようなことがありうるのでしょう。(9)

つまり、「私はよく分かりません。ずっと律法に従おうと努力してきました。しかし、あなたは天国に入るために私自身の働きによるのではなく、御霊の働きによると言われているのですか。」

今でも、多くの人々は同じ質問を抱えています。彼らは、神様を喜ばせるために良い行動をしなければならないとずっと教えられてきました。そのため、救いがただであるという話を聞いても、彼らは信じられません。それが簡単すぎると感じてしまうのです。

いずれにせよ、イエス様はニコデモを少し叱責されました。

あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。(ヨハネの福音書3:10)

もしニコデモが預言者たちの言葉を正しく理解していたならば、イエス様の言葉も理解できたはずです。(特に、ニコデモは預言者エレミヤやエゼキエルの言葉を知っていたに違いありません。昨日の記事をご覧ください。)

けれども、ニコデモがそれを理解できなかったため、イエス様はさらに古い聖書の話を取り上げて語り始められました。ユダヤ人にとって非常によく知られた話です。

イスラエル人がエジプトから救い出された後、砂漠を旅していました。ところが、その途中で彼らはモーセと神様に対して不平を言い始めました。その反抗的な態度の結果として、神様は多くの蛇を送り、人々の多くが噛まれて死んでしまいました。

イスラエル人が悔い改めた時、神様はモーセにこう命じられました。

あなたは燃える蛇(つまり、青銅の蛇)を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。(申命記21:9)

彼らは救われるために、多くの良い行動をする必要はありませんでした。ただ、神様の約束を信じるべきだったのです。神様の約束を信じた人々は救われましたが、神様に対する不信を持ち続けた人々は亡くなりました。

イエス様はニコデモにこう言われました。

「同じように、永遠の命を得るためには、働かなくてもよいのです。モーセが荒野で蛇を掲げたように、私も十字架で掲げられなければなりません。私はあなたの罪のために死ぬのです。そして、あなたが私を仰ぎ見て信じるなら、あなたは救われます。」

ギリシャ語では引用符が存在しないため、イエス様の言葉がどこで終わり、ヨハネの言葉がどこから始まるのかが明確ではありません。おそらく、15節でイエス様の言葉が終わり、16節からヨハネがその話の意味を解釈しているのでしょう。

いずれにせよ、この箇所は聖書の中で最も有名な箇所の一つです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(3:16)

どうすれば、私たちは新しく生まれることができるのでしょうか。それは、イエス様を信じることによって実現します。つまり、イエス様が十字架であなたの罪の罰を引き受けてくださったことを信じる必要があるのです。

罪とは、「神様、私はあなたを信頼しません。」という態度そのものです。ですから、罪の解決方法は良い行動を積むことではありません。罪の解決方法は、神様に対する不信の態度を捨てることです。

そして、その最初の一歩は、「神様、私はあなたの救いの計画を信じます。あなたの国に入るために、私の働きに頼るのではなく、イエス様の十字架での働きに頼ります。」と告白することです。

このような祈りをしたことがありますか。

天のお父様、私は自分が罪を犯したことを認めます。つまり、私はずっとあなたを信頼せず、あなたの道を歩まず、自分勝手な道を選んできました。どうか私を赦してください。

イエス様、あなたが私の罪のために死んでくださったことを感謝します。私の主となってください。これから私は、私の人生のすべてにおいてあなたを信頼し、あなたの道を歩みたいと願います。

御霊様、どうか毎日私を導いてください。特に、私が毎日イエス様のようになることができるように導いてください。私の心を変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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ヨハネの福音書 ヨハネ3章

新しく生まれる?

ヨハネの福音書3章は、聖書の中でも特に有名な箇所の一つです。この章でイエス様は「新しく生まれること」について語られます。しかし、それはどういう意味なのでしょうか。

この話では、ニコデモというパリサイ人がイエス様を訪ねます。

イエス様がいくつもの奇跡を行い始めていたため、ニコデモはほかのパリサイ人とは異なり、イエス様を尊敬していました。彼はイエス様が行った奇跡を通して、イエス様が神様のもとから来られた方であることを認めました。

では、なぜニコデモはイエス様を訪ねたのでしょうか。それについて明確な答えはありません。

確かに彼は、まだ大胆にイエス様の弟子になる決意ができていなかったでしょう。実際、彼は夜にこっそりイエス様を訪ねました。それでも彼は、イエス様と直接話し、相談することを選びました。

ニコデモは丁寧にイエス様に挨拶しましたが、イエス様は挨拶を返すことなく、率直に核心をつく言葉を話されました。

まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。(ヨハネの福音書3:3)

ニコデモはそれを聞いて、驚きました。彼はパリサイ人であり、神様の律法を尊重し、それに従おうと懸命に努力していました。おそらく彼は、天国に行くためにはその律法を完全に守らなくてはならないと考えていたのでしょう。

けれども、イエス様はこう言われました。「その考え方は間違っています。神様の国に入るためには、あなたは新しく生まれなければなりません。」

ニコデモにはイエス様の言葉の意味が全く理解できませんでした。そのため、彼は質問しました。

人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。(4)

福音書、特にヨハネの福音書では、このような問題をしばしば目にします。つまり、イエス様が霊的な真理を教えようとしているのに対して、人々が物理的な考え方にとらわれてしまうということです。

私たちも、どれほど物理的な考え方を持っているために、神様の真理を理解できないことがあるでしょうか。

いずれにせよ、イエス様の次の言葉によって、ニコデモはさらに混乱してしまいました。

まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。(5)

「水によって生まれる」という言葉にはさまざまな解釈がありますが、おそらくイエス様はエゼキエル書37:25-27を参照されていたのではないかと考えられます。

その箇所では、神様が「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかける」と語られています。

この言葉の意味は「あなたがたを罪から清める」ということです。おそらく、これが「水によって生まれる」という言葉の真意でしょう。

さらにその箇所では、神様が続けて「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」と語っておられます。これこそ「新しく生まれる」という意味です。

神様は私たちに新しい心と霊を与えてくださいます。そしてその新しい心と霊を持つことによって、私たちは自然に神様を喜ばせたいと願うようになるのです。

ニコデモはパリサイ人であり、きっとエゼキエル書のこの箇所をよく知っていたことでしょう。そのため、イエス様はこの言葉をおっしゃったのかもしれません。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(7)

この世に入るためには、私たちはまず生まれなくてはなりません。私たちの働きによって、この世に入ることはできません。ただ、生まれることがその条件です。

同じように、神様の国に入るためには、その国に生まれなくてはなりません。あなた自身の働きによって、神様の国に入ることはできません。ただ、その国に生まれる必要があります。言い換えると、御霊によって生まれることが必要なのです。

そのため、エゼキエル書で神様はユダヤ人にこう語られました。

わたしの霊をあなたがたのうちに授け[ます]。(エゼキエル書36:27)

物理的な出産は母の働きによるものです。霊的な出産は御霊の働きによるものです。

そして、イエス様は御霊を風にたとえられます。風の影響は私たちに見えますが、風そのものを見ることはできません。

同じように、私たちには御霊を見ることはできませんが、御霊は人間の心の中で働き、その人を内側から変えてくださいます。

そして、最終的には私たちは御霊の働きの結果を見ることができます。御霊によって私たちは全く違う人へと変えられます。つまり、私たちは新しく生まれ変わるのです。

ニコデモはこの真理を知っているはずでした。預言者エレミヤはこの真理について教えています(エレミヤ書31:31-34)。そしてもちろん、エゼキエルも同じ真理を教えていました。

しかし、ニコデモは自分の働きによって神様の国に入ることができると考えていたようです。

あなたはどうでしょうか。自分の働きによって天国に入ろうとしていませんか。それとも、あなたはすでに新しく生まれ変わっているのでしょうか。