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ローマ人への手紙

神様の思いを知ること

新改訳では、ローマ人への手紙12:2は次のように訳されています。

この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12:2)

けれども、私はある英語訳も気に入っています。

この時代と調子を合わせてはいけません。

私たちはよく、「この時代」や「時代の変化」について話します。

もちろん、世界は日々変化しています。

私は1995年に日本に引っ越しましたが、当時はインターネットやメールがまだ新しいものでした。そのため、アメリカにいる家族と連絡を取る際は、航空便を送ったり、固定電話で電話をかけたりしていました。

時には、公衆電話とテレフォンカードを使うこともありました。(おそらく若い人には何のことかわからないかもしれません。)

けれども、テクノロジーの進歩だけでなく、人々の考え方も変化しました。特に道徳観念は大きく変わりつつあります。何が恥ずべき行為であり、何が悪い行為なのかという価値観は、今なお変化しています。

さらに、日本については確信がありませんが、欧米諸国では、人々が「寛容の時代」を生きていることが顕著に見受けられます。

私の言葉を誤解しないでください。もちろん、寛容そのものは良いことです。

「寛容」を正しく定義すると、その意味は 「私はあなたの意見に同意できないが、それでもあなたを尊重する」 ということです。そして、人々はその寛容を持って共に働き、互いに丁寧に接し、友好的な関係を築くことができます。

とはいえ、現代では「寛容」の意味が変化しています。それは 「すべての意見が正しい」 という考え方です。

つまり、もし二人が意見の対立をしても、「一方の意見が正しく、もう一方が間違っている」とは言えないことになっています。たとえ両者の意見が相反していても、どちらも「正しい」とされるのです。

そのため、「あなたの意見は間違っている」と発言すると、その人は「偏狭で悪い人」と見なされてしまいます。

ところが最近、特に欧米諸国では、クリスチャンの価値観に対して、多くの人々がこの「寛容な態度」を放棄しているのが現状です。

その結果、皮肉なことに、彼らはクリスチャンに対し 「あなたは間違っている。考え方を改めなければならない」 と迫るようになっています。

けれども、私たちが神様の思いを本当に知りたいと願うなら、この時代の人々の考え方に流されてはいけません。なぜなら、人々の価値観は変わり続けていますが、神様の考え方は決して変わらないからです。

とはいえ、この世の流れに同調するよう求められる圧力は、至るところからやってきます。社会からも、家族からも、友人からも影響を受けます。どこへ行っても、そのプレッシャーを感じるものです。

特に日本では、「和」という価値観が非常に重要視されています。そのため、私たちは調和を保つことへの圧力を感じます。

もちろん、可能な限り平和を守ることは大切です。パウロはこう語りました。

自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ書12:18)

しかし、私たちが神様の御言葉に逆らうよう求められる圧力を感じることもあります。

そのようなときこそ、私たちはこの世の流れに迎合してはいけません。なぜなら、それは滅びへと導く道だからです。そして、私たちは神様を悲しませるだけでなく、人々を傷つけ、自分自身をも傷つけてしまいます。

だからこそ、この世の流れに流されることなく、パウロの言葉に従いましょう。

むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。(2b)

どのようにして私たちは心を新たにすることができるでしょうか。それは、神様の言葉によって可能になります。私たちは聖書を読み、深く味わい、聖霊の力によってその言葉に従います。

そうすることで、私たちは真の命を知ることができます。なぜなら、心の変化だけでなく、人生そのものが変えられるからです。

私たちは神様の計画のもとに生き始めます。私たちの結婚は祝福され、困難の中でも平安を知ることができます。死の影の谷を歩む時でさえ、私たちは喜びを見出すことができます。

簡単に言えば、私たちは神様の御心を知り、何が善であり、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けることができるのです。

あなたはどうですか。あなたの思いはこの世の価値観に流されているでしょうか。それとも、神様の御言葉によって新たにされつつあるでしょうか。